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打ち込みは西暦2017年1月19日(木)

「だけど誰かが、あるいは何かが、肉体の維持はしていたのだろうと思う」と書いたけど
あまりにもこの世的な書き方で含みがあるような感じだから書きなおす



誰か、何か、というのは“えご”のこと

肉体が有る、と えごが創ってんだから 
本来 肉体は無い幻想

ハイハイ、そうねー、言ってろ?!だけどこっちには現実があるのよー
そんな役に立たん説はいいから 現実をどうにかしてくれ

幻想という言葉も使い古されたね

まあいいや

ホログラムに時間は関係ない ご飯を食べたり睡眠を取ったりしてなくていい

ホログラムを映しているスクリーンの裏には何も無いじゃん?
でも上映されている間は向こう側 裏側は気にしないよね?


ホログラム自身が私は肉体だと思うなら 
時間はあってご飯を食べたり睡眠を取らないと
死んじゃうね?

ホログラム投影を見ているキミには「私」の姿が見える

キミが肉体しか信じないなら 
私が言うことは

「逝っちゃってるよ~!(ぎゃはっは)コイツ、
狂人・・・それに気づいてないお前がイタイ あーあ良かった、私は正常~!」と見下す

自分の方が上だと特別なものにして 自分が信じる世界の存続を願う


少し心理をかじったのら 空白があるのは
人格交代・・・?解離・・・?とか考えるだろう

SFチックな考えがあるなら 別の世界に行った、とか未来へ飛んだとか


つまり“私”を認識してた人達には
ちゃんと“私”というホログラムの上映は続いて
私のホログラムは、それぞれが信じる世界があることを証明するため
その人が望むように 私が何かを言うんだ


その裏側(外側)は無い

何もないじゃん、創りだしたのはエゴじゃん
全部うそじゃん←ココ、わざわざ映写する必要ないね

キミが どういう概念であれ 私を見て 受け入れられないなら
隣とか、後ろを向けばいいだけ
そこには 必要なホログラムがすでに上映されている


そしてキミは思う

世界が変わった、あたらしい世界が拡がった
あーあ 逝っちゃってるヤツと切れてよかったぁぁぁ!

「逝っちゃってるヤツを引き寄せた私の中に何があるのだろう?」は、ない

己の内側を見る時に世界のルールや常識は必要ないんだ

繋げてみるから だって相手が悪いから 正しいのは私、になる

私自身、他の人や存在はどうでもいい、というのは

“私のホログラム”を映している相手が
なにを見るのかは相手の問題だから

私のホログラムに重なり、やっぱり私は肉体を持っていたんだーと無いのに
在るにして 夢をみるのは なんちゃって、すぎて・・・ムリ

ゲームでもリアルに体験できる系がどんどん作られて来てる

いやーどっちがホントかわからなくなるよねーという裏側に

世界が、あー世界っていう言い方だと漠然としてるな

私だ、と認識できる身体があって 日本に住んでいて地球はあって、という世界のこと
世界ってあるのか・・・と実質的に問うやつに

いやーどっちがホントかわからなくなるよねー(見る夢とか、ゲームとか)
わからなくなる、という在るを創って 世界が在ると信じる

たしかホログラム的な言い方があったと思い検索した

笑う

日本の宇宙学者らが、宇宙は巨大なホログラムに過ぎないという学説を発表した

このあと
「我々の宇宙は、別の宇宙から投影されたホログラムなのではないか」という学説の検証を行い、
「この世界がホログラムなのか」ということの確認を終えました。
ホロメーターの検証結果によれば「我々はホログラムの世界に生きているわけではない」とのこと。

そういえば エゴの創造世界で私 ロボットじゃん、となった時
人間はロボットと何も変わらず、的な本の広告を見て

ああ、そうですか・・・、となった


ちなみにぶっとんだデータに書いたものは何ひとつ書いていない




2017年1月19日(木) 15:25 *今の想い* PERMALINK COM(0)




打ち込みは西暦2017年1月16日(月)


何もかも消えると言われてもふぅーんという感じだろう

これを読んでいるキミはふーん、そんな世界も“ある”んだ(ありえない!)と思う
しかし 読んでいるだけのキミ自身の世界(枠・あるいは概念)は何ら脅かされていない

つまりヒトゴト

どういうことかというと、書き手の私が消えたとか、無だといくら騒いだところで
キミが信じる世界は相変わらず そこに“ある”(存在している)


例えば肉体が死を迎えたら、すべて無になる、そのあと己自身は何もわからなくなると信じている
(あるいは死んでないから分からないけど そうだろうなと思う)なら

それ(概念)は在って、境界線として存在している 外と内
キミは内側に居て己を保ち、位置を確認して 安心する


だけど 何かの事故(病)などで肉体的な死を迎えた

そばで診てた人も、この人は死んだ、と認識した・・・のにも関わらず
生き返ったとしよう

その時 本人にも空白があって生を取り戻したのなら何も問題はない

しかしその間、キミは自分が死んだ姿を見てそこで何が起きたかを見た、
それは何を意味するか

初めて【自分が信じていた内を出て外側で体験する】という体験をしている

肉体が死んだら無になるという概念が崩壊した瞬間だ

キミは戻った後、身近な人に体験したことを話す

だけど その人達が死後の世界に猜疑心←つまり以前のキミと同じ概念(内側にいるのなら)
その内側の世界で物事を見て判断する


例えば「夢を見ていたんじゃない?」とか
「生き返ったから(ちゃんと死んだわけじゃないから)」とか

・・・その人が持っている内の世界で つじつま合わせをする

彼らに悪気はない だけど内側にいる限り
答えを提示することもソレを思い描くことも出来ない

彼らにとっては
ふーん、そんなことも“ある”んだ・・・?

彼ら自身の世界(枠・あるいは概念)は何ら脅かされていない
とうてい信じられない


あるいはどこかでひょっとして?と思うとか 知識として知ってるけど
(受け入れたくない場合)・・・己の持つ世界が脅かされないように

「そーなんだ、そういうこともあるんだ?私は体験してないから、分からない」

あらためてキミとの境目を線引きする


あるいはキミを大切に思うあまり 己の内側でそれを解釈しなおして
「つまりこういうことでしょ?」と言う

それは あくまで己が信じる概念の中でイメージされるだけ
つまり、どんなにがんばって考えても 思い描いても 正しく理解することはできない
だって彼らは外側(生から死へそして生へ戻った体験)に出たことがないから

全然違う!
外に出たキミは差異が明確に分かる
まったく 伝わっていない!そういうことじゃなくて!!!
キミにとっては体験したし それは現実に起きたことだった

なんとか自分が体験したこと 
混乱状態の己にタグをつけようと、もがく

諦めずに別の人に話をすると
「あーそれ知ってる!臨死体験でしょ?体験した人や本もいっぱい出ているよ」

キミは安心する
他にも居たのか・・・そして調べる

それは今まであった概念世界の崩壊によって起きた新しい概念の受け入れ
タグ付け、意味付け

それはこれからを生きていくための作業だ


今まで持っていた世界観、それをどれだけ信じていたか
どれだけの衝撃度かによっても違うだろう

信じる世界を取り戻そうとする

もしも今まで通りの世界を信じたいなら
脳の意識などを司る領域が動いていたから 脳が視た夢・・・とするだろうし

体験を受け入れているなら納得するだろう
はなから臨死体験はあるだろうと受け入れているなら やはり在ったのかとなるだろう

どれにしても、着地点をどこにするかは分からないけど調べるだろうし
似たような体験をした人たちと語り合うかもしれない

あきらかに今までいた世界とは違う
そこは生という内側から出てしまった人たちなのでキミにとっては同志だ
 

その過程で 死後の世界に猜疑心という内側にいる人達は
なんかあの人・・・生き返ったおかげでスピリチュアルにのめり込んであやしぃ~!
とか
せっかく生き延びた命を無駄にしてないで現実に足をつけて生活すればいいのに

価値観が違う人達(枠)から見たら
ばかみたい・・・なんであんなことしているんだ?
必死こえてなにやってるんだ?
いやいや なんであれ あそこまでできないよ
など 噂する

何か言いたい人達は
生き返ったことに意味があるのよ これからは 命を大切にして幸せになって
神様が生かしたのよ 戻されたということは あなたにしかできない使命があるのよ

もういいじゃない、こうしてここにいるのだから 前を向いてしっかりやって

これらは 例えば 竜巻が起きて進行方向に位置する家が巻き込まれ
崩壊していく家に問いかけるようなものだ

「なんで壊れていくんだ?」

家に話せる余裕があったら
「そういう次元の問題じゃねー巻き込まれてコントロールできないんだ!!!」
「そんなの知るかぁ!竜巻に聞いてくれ~!!!」
「ぎゃあー」

「おい、竜巻 なんでお前はすべてを破壊していくんだ?」

竜巻に話せる余裕があったら
「そういう次元の問題じゃねーおれ自身がコントロールできないんだ!!!」
「そんなの知るかぁ!おれが生まれるきっかけになったものに聞いてくれ~!!!」
「ぎゃあー」


ただいまコントロール不可能中、そこにいるしかない、
いるしかない、のも認識できてないかも その最中は、崩壊中は・・・。

私は ←(文章を書くために私と書いてるだけでただの記号だ)
全てが消える前どうだったかな

漠然とすべての終りのおわりや始まりのはじまりは在ると思っていたと思う

こうだ、という確信はなく・・・まだ分からないけど・・・無、は在るだろうという感じ
何処にあるか、そこに行くためにはどこを通ればいいか、どうすればいいかは考えてなかった

こうだろうなというピースはそれぞれの場所にあったまま 
敢えてそれを結んだりしてなかった

転生はない、と言う人なら 肉体が死んだら終りで無だと思う

体験から 私自身は そうは思えなかった、
宇宙や銀河は在る 肉体を持つために通る次元はあるだろう
量子力学やスピでいう12次元・・・だけどアストラル界や次元上昇などは全く興味がなかった

パラレルワールドも全く興味はなかった
ウィキに書いてあった解説で  我々の宇宙と同一の次元を持つ

「この現実とは別に、もう1つの現実が存在する」というアイディアは、「もしもこうだったらどうなっていたのか」

SFのパラレルワールド小説を読むくらいで そもそも 自分自身に置き換えて考えたことがない
*興味がないものは考えたことがない*

ああ、なんか分かった 同じ私がいて全然違う人生を歩む・・・と想像する時
見た目が私で肉体も私で私の意識で、というイメージが無いんだ

それは、もう同じ魂、あるいは同じ本質を持っている別の人の人生になってしまう

「異世界(異界)」、「魔界」、「四次元世界」などとは違う←これは体験している、と思うのも
同じ魂を持ってる私とは違う人の人生と捉えているのだと思う

こういうのは、意識してようが無意識だろうとそれぞれが信じる信念体系に依存されるし
その信じる世界の中で考えたり思ったり行動したりしているんだと思う

記憶を消したい、とかこうなる前に戻りたい、あの時点からやり直したいという人もいる

私自身キツイとか苦しいと言葉で言うけど渦中はそれを体験することに集中してる
渦中を出た後 改めて記憶を消したいか、とかやり直したいかと問われたら
真っ平ごめんだ これでいい、と言う

せっかくあんな思いしたのに、あれは私が経験した私だけのもの
なかったことになったらそれはすでに私ではなくなる
RPGのダンジョンでせっかくレベルをあげたり手に入れたものがあるのに
そしてダンジョンを出られたのに
がーん、セーブできなかった、ショック・・・というのに近い

SFなどで失ったものを戻すために分岐点まで戻りやり直すという設定がある
あれもそそられない

自らそれはやらない

すでに、失った今があるのだから それが私の人生のあるべき結果だ

そして失う、という体験から手に入れたものは何かを見つける

簡単に言うと 人生という名の道を歩むための次のピースを手に入れた
それは私だけが必要なもので道しるべとなるものだ

だから戻ってやり直しは私ではない人生を歩もうとしているし
今まで遣ってきた己の人生そのものを否定することに他ならないと思っていた

このような突き詰めた考えを あまり他人や存在に言ったことはない
いつも 己の内側に対しては、ざけんなよーと言った

小説や漫画 ほかの人が遣る分にはいいんだよ

神という概念がある人で なぜ神は数々の悪を放置しているのか?!という疑問や怒りに対して

神はこの世を関知も関与もしていないだろうと思っていた

私にって 彼らが言う神の概念は旧約聖書の罰を与える神や
八万神・・・神社などで祀っている神様のイメージ

祀っている神様なら祟るし 望むものがあるなら何かしらの対価は要求されるだろう、という感じかな


宇宙が在る(物理学的にいう宇宙)

聖書の 初めに神は天と地を創造された

それぞれは点としてある感じ 私の中ではつながっていない

書いていて分からなくなってきた

突き詰めて考えたことがないのだろう

自分がした体験は在る、と思っていたのだと思う
内に源と同じものを包括している・・・という概念は在ったと思う

確かにあったものが一つだけ在る
「何故これが起きているのか・・・?何に気づけ、ということなのか?」
これ以外はどうでもよかったんだと思う

だってこの世は理不尽で不条理だと知っていたし

ああ・・・いつかの会話を思い出した
「どっちかだけになるってあり得るのかな・・・?」
その時 私は
「うーーーん」と言った

すべての万物は陰陽がある
例えば光と闇、愛とエゴとか

それは人でも、石でも、宇宙でも対比するものを内在している
逆に言えば 対比が無ければ 己の位置を確認できない

だから漠然と対比としての無は在るだろうと思っていたのだと思う

つまりどちらかが優勢になったとしても対比する方が巻き返したり
長い目でみたら バランスをとる為には必要不可欠・・・的に捉えていたように思う

究極的に言えば無に何かの思惑があったり何かする意思はない
だって無なんだから だけど無は在るんだと思う、と捉えていたように思う


まだ自分が居た時 膨大な量を受け続け脈々と流れていく其処に
浮かび上がってきたものがあった裏メッセージのようなもの

ここまで受けがひどくない時は
(つまり大きさの違いだけで同一のものを受けていた時には)

それぞれの過去生や集合体からのメッセージ
(その時遣った人生で後悔したもの、転生したらこういう課題を遣りたいとか)は感じた

それとは全然違う裏メッセ
相反するものが一気に躯体を通っていく
それだけでは分からなかった

その流れの中でずっと途切れることなく続く、というその中にあって
初めて気づく類のもの

当時の私の意識としては これが起きてる大元に行くというのはあった

そして何かがおかしい・・・違和感
例えば  肉体があるたった一人の人間にこれだけの量が来るなら
普通に死ぬだろー、とか

そしてその頃には
・死んだら天国あるいは地獄に行くと思っている所
(少しすぴかじったのなら 中間生というものか)

・エネルギーだけが存在する愛だけの世界

・想念が固まって動きようがない世界

ひとつひとつあげるのが面倒なので 
・他の たくさんの世界

何処に行っても、たとえ一時的に休憩したとしても

違う肉体を持って生まれるとか エネルギー体で居るとか
魂の消滅があろうが
記憶を無くして生まれてこようが
其処に組み込まれるのは 夢も希望も絶望すらない

そもそもなんのために?という疑問はなかったけど
サイクルがあって そのどれかの流れに移行するのはうんざり、はあった

と同時に

集団の流れの中で伝えられてくる裏メッセ(その時は何かと分からなかったけど)
深刻すぎて 必死すぎて切羽詰まっていて 潜在的な恐怖と消された何かで

何かを知ったとしても そもそもそこに全く触れなかったとしても
サイクルにいる限り 脈々と流れる

それを何とかする方向へ行った誰かは居るだろう
それはかなり突きつめてしまった誰かだ

人生を生きていく方向しか向いてないなら疑問すら発生しない

そして悟り方向へ行こうがそれを追究していく中では
それに気づかない

手に入れようとして手に入れた人ですらこの状態はなんなんだ???

それぞれを個人の人生としてフォーカスするならば、それはなくなる

だけどこんな風にひたすら受け続けたら、ん?っってなるよ
すごーく嫌な予感しかない

私がここで感じた何かは私が何とかする方向に行こうが
それを藪蛇で つつかないようにしようが
この後も流れの中にある限り 突き付けられていくのだよ、明智君~!みたいな感じ

その時に(肉としての)私は滅びれば終りだから関係ない、とか
大きな括りでの魂としての問題とも思えなかった
しいて言えば 全部わたしで・・・立ち位置の区別や括りはなかった

今まで考えたことがない視点で
それは大きな力(・・・という言葉しか出ないので力と使う)が突き付けてきている

今まで疑問にすら思っていなかった・・・その流れの力とは違う性質のもの

其処には意図がある

何かが違う・・・おかしい・・・おかしいと思うのは何だ?
何がおかしいと思わせている
私の内側の世界で・・・この程度は思った

だからこその嫌な予感だ

その後も存在する


・・・めんどくさくなったのでハショる


存在するために創造主は、己を問わない
だから内側にいるもの達も問えない

大元はえご、だったというのは
外に出ないと分からない

その時“在る”ために知覚が存在している・・・

つまりどういうことかと言えば
内側に戻った時に 答え合わせは存在出来ない
すべて内側にあるものは 存在するための方便 つじつま合わせなのだから

そして内側に戻った私の知覚や肉体が感じるもの
考え、感情 行動は誤作動でしかない
信じられるものは何一つない、と言う言葉でしか言い表せない

これを読んでいるキミは
「私も・・・なにも信じられない、不信感があるよ」と思うだろう

だけどそれとは違う

そこには確固たる確信、私という主がある(存在してる)と認識できて
不信感という気持ちが在るんだ

キミは当たり前にあるからそれが在るか、どうかなんて気にも留めないだろう

己だと認識できているし
不信感という気持ちを疑わない、それは気持ちは確かにそこにあると
断言できるもの 認識できる確固たるもの つまり指針

揺らがない信念があり 内側と外を区別している

有るときには疑うことがない

もうないよ、なにも・・・


空っぽ、とか無という言葉を使うと

己を見る事が出来なかったのね、だからそれを知った時消えたのねーとか

空っぽだから必死で埋めてるとか それぞれの世界で腑に落とす
それは己が存在する世界の見かた


この世界にある言葉で表すとそうなるだけで
空っぽだと認識するための境界線

つまり 私の体だ、と区別するものは もう ないんだよ

ないのに どうやってそこに入れるんだ?

消えたのねーというけど
認識できてた世界がないのにどうして消えたと分かるのか?


とりあえず己自身が在る、そして世界が在ると存続を願うなら

知覚や肉体が感じるもの
考え、感情 行動は誤作動でしかない、ならば
体験したことが誤作動だったんだよ、そんなのなかったんだよと
つじつま合わせすることも可能

だけどそれをするのには衝撃度が大きすぎた
一気に目が覚めた

すごく大げさな知覚を感知していて本来ならば死ぬほどの苦痛はなかったから
死ななかったのだ、という方便より

逆だー

うそくせー
何故これを見せられているのか・・・?ではなく

視点としては
何故これがあるのか?なんのために???

世界が在るという世界に留め置くためだ


存在するためには比較が必要

だから無も創られている
何かを認識してるなら すでにそれは創られ
それが何かといえば 世界はあると みんなが在ると思いたいから

知覚は 騙すためにある
ほんとは・・・何もないと、すべて幻想という事実を見ないためにある 

幸せなら幸せにしがみつく
どんなに不幸でも「不幸なわたし」という枠を外せない
あなたと私・・・あれとこれ 区分するためのタグははずせない

存在してるなら(あるいはしないなら)エゴなんだ

私ならコロすことも出来る、と思うならば コロせる自分を特別にしている
・・・特別性の呪縛

じゃあーお前はなんだ?
お前だってやってることは同じだろ?

体験したことが誤作動だったんだよ、そんなのなかったんだよと
ないものを在るとする、つまり創り出せるものは、ぶっとんだんだよ


過去の私に分かる、なんて思うような言葉は紡げない
だって言葉は分離だから

私はあなたとは違うエゴじゃないしぃ~!と感じるなら

キミはまだ存在したいということ

そこには 私とは違う、という区分 特別な自分があるということ
創造(存在する)世界の住人


内側にいるなら 己でどうにかできる問題じゃない

己でどうにかしようとするならば
エゴの餌、また世界に埋め込まれる ただのパーツ
世界の存続のために働くんだ

それは よりよく幸せになるための方法を探すとか
魂に繋がりたい、とか 過去生を見て今生の課題を見つけたい、というのも
存在したい自分とエゴと利害は一致するのだ

肉体の死という時間が存在するから ある意味自分を見つめる方向へ
フォーカスしてるわけで そらしだ
幾多もある方法は まことに都合がよろしい
意味付けしたり 答えを求めたり 


戻って来たので
あー正確ではない 肉体の残像を感じられる何かがいる、
それが五感を使いながら無へ行こうとしてる

無・・・何を語ろうが 誤解する

無関係な処に完結したものがある

それ自体はあるとも無いとも問わない
己の存在理由に価値を求めたり 意味付けもしない
ましてや己がいるか、なんて疑問もない

このことばを吐いた時点で創られるだろう

そして何を言おうが世界が見える何かがココにいるから

目に見える何かを見ながら
あの時 伝えられてきた裏メッセを読み取るように

ことが起きる前の私は大元に行くと思っていたけど
これからどうしたいはない

だって私は無いんだよ、無いものからどうして望が生まれるのか?

すべてのものが破壊された・・・だから信念も感情も考えも世界ですらなにもない

端的にいうと絶対的な何かがあるからこそ
(目に見えているものしか見えない人なら見えたことは正しいとなるだろう)

そういう物差しがあって 初めて己の位置を確認できるのだ


自我も魂も 己の核はおろか足元も上も下も左右も世界もなにもかも消滅した状態で
さらにそう認識した知覚自体が間違っている中で

己だ、と思う物差しが存在するなら、発狂できるだろうな←棒読み。


記録するのに日本語は
主語が必要なので わたし(私)や彼、魂という言い方を取ったが
よくよく考えたら 人格の消滅的なイメージだな

だからといってすぴのウォークインとも違う
ぎりぎり見てる何かがある、だけ

ここにいるから 何かがある、のだ

ー昔の己を思い出してー
まあさーこれを読んだとこで だから?どーした?
大した問題だと思わないわな

心にフォーカスしてるならば
いやいや、そんな誰でも エゴはあるだろうよ
どんだけ自分がキレイだと思っていたんだよ、となるだろうし

すぴなら 無我になることを目指すとかなるだろうし

それもこれも中にいるために創られた方便だ

のちのち見た中で
ー神(本質)は内(肉体の中)に内在する
という概念をなんとなく採用していたことが 気づくのが遅れた要因だと思った

それは同一視であり、同一視をしている限り その枠からは出れない
出る必要性もないだろう
もう少し細かく言えば 同一と見てるけど違うという区分のためにある

この世界では、善悪は在る
だけど内へと辿れば・・・

たぶん敢えて言うなら すべてOKな
つまり・・・愛、方面を採用していたと思う

究極的に カオスが存在するこの世界や別の星 あるいは生命体のようなものが居る世界と
対局に何か(それは人によっては光だろうし愛かもしれない、あるいは闇かも、それぞれが思う
枠の外にある)が在る
無も在る

書いていて、分かった
私は点と点をつなぐことはしなくて そのままピースとして置いておいた 

それはわーくを初めて10年前のあれ、ここに繋がってのか・・・とか
20年前の体験は 此処か・・・となったので

すぐに結論付けは危険
逆に物事を見えなくさせて 結論にあうような証拠のみ拾うだろうと思っていたのだと思う


その時々で 違和感を感じなければそのまま流れていける

あの後
TVドラマの主人公について言ってる記述を読んで
私自身は原作の漫画を読んでいたから 
何故だろう・・・?と疑問だったけど まぁいいやと思った

ドラマ自体の放映から2年後くらい経って
ドラマのサイトがあったので 見に行った

初回のエピソードを見て驚愕した
あくまでも原作とドラマは違うのだといわれたら、
そういうこともあるかもしれないけど・・・破たんしてる
そこを変えてしまったら 
主人公の性格やトラウマや苦悩、悦び人生が変わってしまう

逆に違うんだというのであれば
それに沿って作り直すとか、別の登場人物を出すとかあるよね?
なんでそのまま設定???

例えをあげられない・・・
んードラえもんのしずかちゃん設定でやっていることはジャイアン
・・・初回にジャイアンとして行動したら それに合わせて作られる

エピソードは漫画でもあるやつなのに別人になってしまうだろー

そこでそれぞれを騙すように創られる
当時私もリアルタイムで TVドラマを見ていたら 
原作を 破たんしない程度に創られていただろう

で・・・ここ半年くらいの間に
これまた以前読んでいた漫画が映画になった

映画だけ見た人はさっぱり分からん、という感じで
原作ファンは超絶、大激怒!!!

そういうことはあるね、原作ファンならば・・・

だけど作った方は
あくまでも原作と映画は違う
違うんだから それに沿って作り直した、別の登場人物を出したのだ、と言っているらしい

なんだそれ・・・、どっかで聞いたような聞いてないような
言い訳のような・・・?みたいな

でもそれが何だと言えるだけの指針はもうどこにもない



2017年1月16日(月) 20:11 *今の想い* PERMALINK COM(0)

打ち込みは西暦2017年1月13日(金)

無へと行く前に
過去の私自身のラインに乗っている自分に向けて書いておこう

今これを書いたところで同じラインに乗ってる私ならば
同じように感じて同じ方向へ行くだろうと思うので・・・。

ただの自分の消滅や魂の消滅、輪廻をすべて記録している何かの消滅、宇宙や星・次元間
あるいはこの人生で受け続けたもの(それが己の過去生や未来生
宇宙生 己ではない過去生や未来生 宇宙生、集合的なもの)の消滅であるならば
敢えて書こうとも思わなかった

そういうのはすべてひっくるめて
(消滅だろうが肉体の死や生まれる、光や闇だろうが、変化が存在するならば)
究極的に生きる(存在する)という方向、創造する内側の世界の話で
いやもう、そこをぐたぐたいう時間はねーから、今さら感だし・・・と考えてきたからだ

いわゆるすぴ的な言葉を使ったけど、肉体を持って視たり、受けたりした結果の解釈が
そういう言葉でしか表せないだけでそれ自体に意味があるわけではない

ちなみに以前から、前世があるかと問われたらう~ん
あると思う人にはあるだろうし ない人にとってはないだろう、という

だからと言って 誰かの持つ世界観 宇宙の構造もその人がそう思うならいいんじゃない
それを否定しない

私にとってはある、とかない、ではないし
いろんな人が言う持論も 微妙に違うんだよねー、私とは・・・と思っていた

かすかな違和感・・・と
何でそう思うの?みたいな疑問

何処にもなじまない感じ
己を追究していくためには心理のやり方もすぴのやり方も
方法論的(内に向かう方向のもの)には有効だった

あーそうだ
やふーで書いてたものをざっと読んだ

完全に心的外傷をうけた人に向けた言葉だ
今なお現実だ、どこにもいけない、己ではどうしようもないところにいる人に向けたもの

そして世間との差異を埋めようとする言葉と
心の傷をどうしたらいいか、と言った方法論、それも壊れないように回避するギリギリだ

そしてそれは、図らずも私のある側面のみを強調している

***

以前 心的外傷を受けた人の体験談を読むとそうだよねーと思うだけで
己の持つ違和感、普通の人との差異を隔てているものの正体が分からなくて
問い続けた結果
オレンジとブルーの世界の提示をされて、あ・・・そういう世界構造だったのかと
分かった時があった

全部エゴじゃんとなってから(一応書いておこう このエゴはエゴイストのエゴでも
シンリで言うエゴでもすぴで言うエゴでもコースの指すエゴでもない) 
初めてあれ・・・?これってAさんの方向性???で読み始めたし
私(魂をひっくるめたすべての私たちが)いなくなっちゃったんだけど???で
誰か似た経験してる人居ないか、と調べた結果 虚無を書いた人が引っかかってきた

Aさん、虚無の人の本、体験談書いた人、己の問いに従い
すべて自分の言葉で語っていたので そうだよねーと思うだけで 分からなかった


そもそも私とは 出発点が違う、生まれた時から魂はいたし負は見えたし それが却って複雑になってた

今回もそれが起きても 予備知識がなかったので あ・・・そういう世界構造だったのかと
知った

これで比較ができたことがある
私がシンリを遣っていた時の最終が根本的な原因追究する方向性

そこは業界的にはNGでやってはいけない
手を出したらダメ 正気の沙汰じゃないよ、という類だった

二人わーくをしていた時にシンリ遣っていた時に壊れる人がいると話をした

その時に友が魂が決めていたら壊れるなんてないんじゃない?と言った
うーんそうなのかな・・・と思ったけど
私的には壊れていく人たちを見て どれとか言えるようなことではなく
そういう次元の問題ではない気がした
なんだろ、 言葉にできない違和感

すぴでも壊れていく人たちはいた 
己をみつめるという分野のみではなく
どういう分野でも(どういう仕事でも、と言えばいいのか)壊れていく人、現象はあった

今回 1冊しか読んでないし、興味ない分野だったのでスタンダードがなにかも知らない

無へ向かう作用があって提示する場合はやるかもしれないが
今ここにいる私にとっては敢えて「在るという内側にあるやり方」を調べようとも思わない

*ちなみに今の日常は ないだろー、嘘もたいがいにせーやというのが加速してる*

ほとんど専門用語に聞こえるくらい、誰とか このやり方 誰々が言ったこういう状態というのが
全く分からないけど 
何々のやり方でどんなにやっても達しない、それはその先を禁じているからだという記述を見て
自分が遣ってきたシンリを思い出したんだよね

小に至った特定の人に向けて(極めて狭い対象)が大へ進むためなので

そこに至らない人には全く意味がなかったり 勝手な解釈をしたり
むしろ至ってない人のほうが師は言葉で打てる

もちろん勝手に人生の苦悩にどはまって 達した人は問題がない



・・・トラウマに似てる 
意志だけで 中途半端に突っ込んで変化を伴わなければ 次が大変
体が恐怖を感じてしまう 
意志でやろうとしても意識はすんでで地団駄を踏む
そうするとまた突っ込めなかったという体験を重ね プレッシャーと焦り
困難になる

そこにとどまってしまったら、厄介だなと思いながら

本人も混乱しているから必要な言葉をかける 

どこにいるかで全く使う言葉が違う
此処に達したときはこうだったでしょーという

そういう問題ではないし・・・的な部分が似てるな

***

私自身は いろいろ分岐点があった


*今 日記帳&スケジュール手帖で確認した
ごめん・・・一番ヘビーだった、
(もとい2,3回転機 追いつめられるはある)時に己自身について書いてない
手元にある中で 自分のことを書いてなおかつ日付がわかるのは西暦2003年~2007年位までだ

最初のブログ(2009年)を書いていた時のものはあるけど自分のわーく記述はほとんどない
それから2012年~のブログはアップしたものをPCに保存してるけど日付けがない
予約投稿もあるからリアルで何してたのか不明
スケジュールもしかり

ざっと西暦2004年~西暦2014年位に位置するキミたちが気を付ければいいよ

今まで通り なんでそうなるの・・・?という違和感と
何故・・・?と問い続けたらいいよ

それが今に繋がると思うから

2014年夏位から空白期間がある
だけどブログは予約投稿だったので3ヶ月分くらいは稼働していたと思う

ふと気づいたときにネット上で残しているものもあるが
2014年の年末位までは、行ったり来たりしてた

克明に日付と時間の記録を始めたのは2015年3月からだ
この時点ではあくまで手書きノート&PCに書いてるだけで ホントの処 何が起きたか
ネットに公開していない
リアルでも ネットでも言葉を選んで放っていた 
核心部分はぼかしていたという感じか、既存で使われている言葉と意味が違うので
言葉として成り立たない部分が多すぎた

過去の私ですら理解できないだろうと思ったから

例え私と同じ状況下にほおりこまれようが あの時点での私でなければ 
同じラインの過去の私でも、違った意味解釈するだろうことも分かったからだ

Egoという言葉ひとつとっても いちいちシンリで言うところの~とか定義してすり合わせするのが
めんどくさいし 余力はない
全部うそなのに 虚構のものに説明するのはバカだ

あんな結末になってしまったいくつかの違和感を書こう

もともとこの人生を生きてきた自分がヘンかも、と自覚していたので
魂や他者や存在に言ったことはないと思う

以前書いたものが残っていた


私は 生きてきた中で (今から思えば)自分の内なる声と繋がっていた
後から大人になって 魂に繋がる、とか高次の自己(ハイヤーセルフ)に繋がる、
そういう勉強や練習、努力したとかではない
私にとっては 赤ちゃんの時から当たり前にあったもので 私の世界はうまく外と繋がれなかったから 
そういう状態だったから うちへ内へ行くしかなくて どんなに現実の世界がもうダメだ、と思っていても
自分がダメダメで自信がなくても 内なる源へ フォーカスして 合わせてみたら(胸の奥の奥のほう)
根拠のない自信 「なんとかなる」っていうのは ある意味 確信していたんだよね


自分で大波に飲まれて 自暴自棄になっている時でも 胸の奥の奥のほうから かすかな声・・・というより 
想いみたいなものが伝わってきて カラダ全体があったかくなったりして 不思議なんだけど 大元は繋がっているんだって 
それを感じたら 安心できた ワンネスとか・・・あるいは 普遍的無意識(ユング)のようなもの 

誰でも持っていて 現実で 肉体を持ってやりたい体験をしているのだ、ということを感覚的に分かっていたんだ

でも 生きていく中で そういう不思議体験や目に見えないものの世界を否定して ないものにしてたのも 事実
それがあると この現実では 生きづらかったから 
だけど自分の人生を完結するためには 目に見えないものや魂をさけては 通れなくて 
見えてんのに これでもかーこれでもかーってことが起きてんのに 
みて見ぬふり 見えないことにしていたの

けっこう肉体が限界だった時、なぜこんな体験をしているのか
魂の言う現実で 肉体を持ってやりたいとか、いいから!
そういうことじゃなくて なぜ?と自問自答して

突然 雷・・・?稲妻・・・光に打たれたように 何かが駆け抜け ううん違うな 
一気に 景色が変わって 理屈じゃなくぜんぶ 愛じゃん 
考えたり 何があって感じたり 想いが湧きあがったとかじゃなく 
分かった、という言葉が1番 しっくりくる、私的には
今までは魂に合わせたら そうだと分かったけど この現実を生きている自分との間に 隔たりがあったの
どうバランスを取っていいのか、あまりにも落差があって どう捉えていいかも分かんなくて逆に落差が辛いような

その現実を生きている意識の部分の自分が経験 体感したの 
魂部分の私が意識の私に かぶさって統合して すっぽりと収まったみたいな感じ 
今までは片目で見ていた景色が両目を 見開いて 見えたような 3D映像みたいに ハッキリくっきり ピントがあって 音もサラウンド

ありとあらゆる人や ものや自然や 地球や 散歩の途中でウンチしてた犬や
そこを通りすぎるのは邪魔かもと躊躇してしまうくらい、堂々と道のド真ん中でHしてた猫、や
落ちているゴミにさえ泣けた 
すべての人やものに 目に映ったものは 
片っぱしから ありがとう、ありがとう!ってそのポイ捨てのゴミにすら愛しくて愛しくて 愛を感じて 
世界はなんていとおしいのだろう、愛でいっぱいだ
 
すべてがキラキラして 景色が、この世はこんなにもキレイだったのかぁ―
私が今まで見ていたのはなんだったんだろう、って 衝撃を受けて
なにをしてても、してなくても それこそ 息をしているだけで おかしくなりそうな位幸せで ←幸せ過ぎるのもおかしくなるんだ、って可笑しかったけど 
おなか減った、なぁって思ったら感動して 部屋を見渡して・・・さらにうるって 来て 
その感動が 溢れてきて 張り裂けそうで 涙が溢れて それから世界が一変してしまった


机の角に思いっきり足をぶつけて 涙がチョチョ切れても・・・いってぃーな、
机 足の指 痛み・・・泣けて?あれ?痛くてじゃない・・・何で泣いてるんだろう?
こんな貴重な体験が出来る
あ~これってば 肉体を持っていればこそ出来ることね

あ~わたしは こんな体験がしたかったのねぇ なにもかも 体験したかったのねぇ
ひどい言葉を吐かれても あ~悲しいわ 心が痛いわ~ めっちゃリアル ああ これが感じる
なんて素敵なコトなんでしょう
悲しい、を味わう~深いわぁ~すごいわぁ~素晴らしいわぁ~
こんな気持ちにさせてくれるなんて あなたって・・・とっても・・・ステキすぎる~!

あなたってば 汚れ役を完璧にやるなんて すごいわね~そうしながら、きっとあなたはあなたで傷ついているのよね、
きっと でもね~そうね~わたしもあなたも そんな嫌な感情ですら ただただリアルに体験したい
いろんな体験をして 味わってみたかったのねぇ~もう すべてが愛だわぁ~っ 愛しかないのねぇ

そうね 純粋にただただ体験をしたかったのね・・・なのに 
それ忘れてしっかり恨んで いや、恨むことも堕ち込むことだって すべて感じてみたかったのよね
~だって 肉体を持ってこの地球にいないと 出来ないもんね
とくに辛い経験やネガティブな想いって 分からないものね・・・うんうん あ・・・?
もしや これが「リアル魂状態」???
で この人生を生きてみたらどう見える?どうなる?の体験ですか



これは数時間に起きたことだったけど それが収まって感じた違和感・・・がある

その前に但し書き

いつだったか分からない
ちなみに覚えているのはこれが起きた時
ふたりわーくを遣ってきて 自分の過去生や人の過去生を散々見て
今回の人生のみで誰かを見下すのはばかじゃん (現実にどっぷりつかっている人は除く)
前世とか言ってるやつに対して
そして己の過去生4,5つ分かったところで だからなんだ!?
誰かがどうこう言えないだろー
もう人間としてここにいるだけで イメージ出来るような
思い描くような人生全部やってる

もうどの人間も一緒 全部同じ
その1部だけ取り上げて物申すのは片手落ち

カルマが、とか輪廻が、とかいう次元の話じゃねーよ
もう落ち着く間もないほどだったので記録もしてない
地下何階とか数を数えたのも最初だけだ

だから己に対しても
数を数えたことはないけど 己の過去生100個は間違いなく視た
・・・ではなく“受けた”
視るだけなら衝撃は少なったと思う
その当時で、だ

地下何百階とか・・・人間って残酷・・・意識は追いつかず
体は疲れ果ててショック状態・・・衝撃が続いたの
そんなことってあるの・・・?歴史である?と
友と言い合い、徐々に何でもありなんだ
肉体を持ってできるようなことなら
さらに肉体がなければエネルギー体ならその先も可能じゃん・・・と

未来生や宇宙生や他の人のものはもっと視た 
だから全部同じじゃんかと思った
当たり前だけど
個人的なひとつひとつを選別できて、という但し書きがつく

最初はこれは誰だというのも確認していた
そのうちに今生で出逢っていない人
過去でも未来でも、他の惑星でも会ってない誰かとか
・・・どんどんアバウトな感じになって
そのうち地球に生まれたこういう感じの人とか
こんな感じの惑星のこういう人・・・人とは言えない何か・・・とか
エネルギーだけの世界でこういう状態、とか


当時は集合体に遭遇していたような?その先だったかな
一人の時も受け続けていたので
細かいところ、覚えていない

話を戻す
違和感に対する答えを探した
探す途中で なんでそうなるの・・・?が大きくなる

そもそもの・・・・探した場所も違った
興味ないのに目にした言葉でさらに違和感になる

分かった人・・・
すべては愛しか、ない

一つ目の疑問
現実レベルで苦はいや楽しいがいいという
人間的領域の苦悩、苦楽を話しているなら分かる

もしそこを体験しちゃったら
それでも楽しいを選べるのか・・・?
これは苦を積極的に選ぶ、という意味ではない

そういう、肉体を持ったこの世界の何かは
凌駕するだろう、ということが言いたい
敢えて その区別をつけるのか・・・

もう生の中にある何かを選ぶ、とかありえないだろーと思ったんだ

だから分かっちゃった人がそれでも普通に淡々と生きていく、という言葉に
引っかかりを覚えた

だからと言って死を選ぶという意味でもない

そもそも“何かを選ぶ”は存在しなくない?
生きていく、とか死ぬとか、それって在るという前提がなければ
選ぶことはないでしょー
あー伝わらない気がする

簡単にいうと、そういうものすべてがなくなってる、んじゃないの?という疑問だ

当時も少し前も分かった、なら 同じだと思っていたので
なんでそうなるの・・・?と問いに対する答えを探した

一体感や愛を語るなら 分かってすらいないとか
小中大 純度 精度で全然違うと知識がなかった

あせんしょんに興味がなかったけど見たものは

一体感 ひとつの意識
アイの世界
ネガティブなことを思えば言葉を話さなくても筒抜けになる
波動が落ち そこから外れる

愛しかない、という言葉は
正確には他はないけど愛は存在しているということだ

その存在している、ということに不全感
すべてはOK、光で 自分で遣りたいことは何でもできるとか

光だと認識してるし OKだとわかっているし全体として存在するならば
自分という認識もあるのなら 分離してる

その分離、気持ち悪くないの・・・?


ゲイリーの本で神について*こーすの本の解説だけど*
今改めて ちゃんと本を確認しないで書くと

分離について 大いなるひとつのものに居て
ふと離れたらどうなるんだろうと思ったのが始まり、という記述がある

それってどうなの?と思ったけど
何も起きていない 幻想という部分にそーだよねとなった

その時の違和感は
光だと認識している何かはあってひとつの意識だと認識できてる
すでに在るのだから それは果たして完璧なのか・・・?
ふと離れたらどうなるのか、というなら一体となってる、ではないじゃん?

(これも今となってはエゴが世界を欺く 存在するための罠でしかないけど)
認識できるなら
そんな、ある意味、つまんない 
変化がない止まった地獄のような世界はいやだよ

あくまで私にとっては、だ
それが 何を見ても泣けてきて 愛じゃんとなったあと
死んで大いなるものに帰るとか 愛だけの世界も地獄じゃん
どっちも地獄じゃんと思ったこと
それしかないなら せめてこの世に存在してる間だけでも
すべての体験を貴重なものにしたい、と

で・・・分かるように
愛だとなった・・・私は もう少しの処で 身体が拒絶して反転したんだ

前に友が言った言葉
生きているんだから何もやらないということはできない
何かをやるしかない みたいなこと

無くなった私は思う

愛しかない、という世界も同じ(閉じ込められている存在する世界に、だ)
肉体が無かろうが
それは存在しているのだから(存在してると認識できているならば)
何もやらないということはできない
何かをやるしかない 

あー言い忘れた
今までの信じて疑わなかった概念や世界観 体験してこうだと思ったものも
私が在ると思っていた世界をも無くした 消えた 死んだ

今まで目にしたのは手ぬるい 疑問があっても答えを提示された気になる
すかすかの罠ですり抜ける
分かってなくて質問しているから 
世界の創造主に、なぜ?と問いかけてもホントの答えはくれない
全く疑わなかった世界を無くして分かる

そこで私の存在が消えたら終わったけど終わらなかったから
ってか 在るの創造の大元はなんだ?とのぞんだから 出ちゃった
ココ予定外 予想外だ

そこで浮かび上がったのは私が見てる、すべてがなくなる
完全に認識できるものがない
つまり知覚の終り・・・それは創造しないということ 
創造してるという言葉は在るから比較でしかない

漆黒の闇・・・←終わりなのに光は鬱陶しい
存在を問うことも 存在することもない
つまり 世界の内側に存在している私自身に何かできることはない
だけど存在してる(生きている)なら 
何かをやらないということはできないなら
少しでも完全な終りへ向かうということ

私の目にする人は
どんなにイヤだ、うんざりと言っても“存在する”を選択しているよね
だから、バイバイ
私とは方向性が違うから もう関わらないよ、と言ったのだ

そもそも存在している、そこに違和感や疑問を持たないらしい

圧倒的な至高体験をしたら それを何度も求めるらしい

あー世界の存続を願っていて巻き込まれたらどうしようと思ってる誰かが居るなら
私の世界が完全に終わっても 夢を見続けたいあなたの世界は存続するだろう

疑問と違和感 突き詰めていった結果、此処にきてしまった
そんなつもりなかったのに、というのが正直な処
魂的にも どーなんだろー
今となっては分からん
だけど此処にきてしまったら 戻れんというのも本音



2017年1月14日(土) 02:30 *今の想い* PERMALINK COM(0)



西暦2017年1月12日(木)

(西暦2017年1月11日(水)打ち込み)

初めてまともな書に出逢った

もちろん、これは人間の領域の範疇なのでこれからの私の参考にはならない


発端はデータがぶっ飛んだあと改めて書く気になれず
大晦日、黒い影の人型?がまとまって遣ってきているのが見えた

年明け2日 会員になっている所の2007年発行データブックをパラパラめくり
これはいいかもと思った本を見つけた

しかーし 市場に出回っていない
発行は10年くらい前

その本を読んでの感想が書いてあるブログをいくつか読んでみた
うーん、どうなんだろー
感想はあくまで読み手に依存されるよね・・・。

会員になってるところに行くと12月後半から出版元に残っている本を売っていた
売切れ本はすぐに反映されない場合もあるとの但し書き
ってか・・・かなり 「残なし」になってる

欲しい本は残3 いかんせん年末年始お店はお休み
休み明けから発送らしい

微妙なラインじゃね? 無に引き渡すをして 手に入らないなら必要ないってことで
当日のチェックはやめようと思った

翌日 注文ありがとうございますとメール来ていたので
なんだ、すんなりだったのかと思ったら違った

その前にもう1通来てた
別のお客様が検討中、それがキャンセルになれば用意が可能
結果が分かり次第 連絡 もうしばらくお待ちください

あーお店で悩んどるのか・・・
昨日の時点で見なくてよかったと思った

***
1月7日(土)に届いた
プレゼントCDも入ってた(これはまだ聞いていない)

まえがき(編集した方)を読んで知ったのだけど

前半部分は1993年の時点で今後 約20年ほどはこれを本にしても無意味だ、と
公開を禁じていた

その遣り方(行と言うのかな)で初期の悟った人に宛てたものらしい

前半が公になっていなかった部分(手紙、草稿)
後半がそこでの行をして悟った人の体験談&編集した方のやり取りと解説のような感じ
その遣り方で体験した人が居たために本になった


*会報で 編集した方のインタビューは目にしたことがある
私にとっての当たり前を当たり前に言ってるのでわざわざサイトに行くこともなかった

発行された10年前に その本を読んでも分からなかったと思うし 手にも取らなかっただろう

悟ったところで人生を生きていくのに関係ないじゃんと思って居たので・・・(今も思う)
そしてめざしてる人達や苦しいコトから逃れたいだけの人達には危険な本だと思う

ひたすら変化を求めて、結果的に消えてしまったとか
私の言い方で言うなら 苦が無くなるのは望んでいなかった、
それってだたの症状消すだけの対処療法じゃんと思ったら

何故これが起きてる? なんのために???どうなってもいい、知りたい根本の原因
最初の最初まで問い続けて

あれ?ココに来る予定はなかったのに・・・根源的無へと強制的に巻き込まれて
まったく知識がなかったという人達にはいいのかも


***

前半を読んで 今まで己が書いた文章で抜け落ちている、ごちゃごちゃに書いてる部分に気づく

それは同じラインの私たちが視れば私が体験したことは分かるだろうと思っていたのと
創ったのは全部エゴだ、という衝撃で そこをキロクすることが先に来ていた

同じ文脈の中で 違う次元の話が混在している
それは別々に語られるもの、らしい

なんでそうなったか、簡単だ ソコに興味がなかったのと無知だから
いくら私の体験でも私に伝わるわけない

えーなんでそうなる?という疑問に対しても、知らなかったという感じ

あと大爆笑した部分(正確には苦笑だ)がある

裏ダンジョンというべき 秘密の扉が出現して 開かれる、
道なき道を行くための最低限必要な条件が存在する

なんだよ、私当て嵌まってるじゃねーか・・・

RPGゲームでもあるじゃん それってレベルを上げりゃいいという問題でない
普通にやってたら まかり間違ってもそんなの発見できないだろーという技

攻略本やゲームやった人がたまたま発見したものとかあるじゃん、
狙おうと思って狙えるもんでもない、ああいう類ね

私の場合は・・・生まれた時から
魂と肉体にいる私の意識の対立
キレイなものではなく えぐいのを視る土壌があった

ふたりわーくをやりはじめてから、至高より 地下の闇が多くなった

視るだけでなく 入ってくる受ける、最初は個人的なもの
集合的なもの どんどん規模が大きくなって
もうこれ、誰とか ナニとか区別できないよね・・・という処まで来て
躯体は器として 群衆が大挙するとかに移行した

だからと言って 私が目にしたものや公開されているサイト上で
誰もかれも、ひとつとして同じ条件はない


大きく分けて 悟には



純度 精度という言い方をしていた

一体感や本質が分かった、という場合 小の悟ですらない
自我が落ち(死)、初めて悟となるらしい

私は いわゆる分かっちゃった(悟った)人達がそれでも普通に生きていく
だってこうして肉体持ってるし

ということに
何故?なぜ??ナゼ???
どうして、どうして、どうして そう思えるの???

そう思えるの?というのは そんなんで納得できねーだろ!?
それに それで終わったら こいつら(集団で押し寄せてくるもの)終わんねーだろが!
と思っていた

分かった、にもいろいろあると知った、私が思うのと逆だった


本は小の人に向けて言葉を放っているのだけど
例えばこれは ~で言う処の~~~だ、とか

いやいや、それってだれ?
これってなに?だれ???
~~~でいうところのこういう状態、とか わかんねーよ

すごく有名な人達なんだと思う
みごとに何も知らないわ
唯一 知っていたのは虚無、自我がなくなった人の本

それも私が終わってから手に入れたし・・・。
ざっと読みしかしてないので、また読んでみる

前半の部分で 細かくその人の考察をしている章があるんだけど
(25年前だから 2017年現在で誰かいるかもしれないけど
悟るに興味がなかったので分からん)


師がいなくて(存在は居ただろうとのこと) 小から大へ行けた人、
何故20年かかったのか←私的にはそれくらいかかるだろと思った

ん?それって逆じゃないかなと引っかかった部分は逆らしい

問題は去った、苦痛はない 中心にいる、揺らがない
何も問題はないと本人が思う状態
己で見つけることがない
動きようがない 
だから不幸にして小ならば 大の師が必要になる←先に行くならば

さらに 小には個人的なものと集合的なものがある

個人的なものだとせっかく空っぽになった部分に別なものを呼び込む
視えるようになりました、ちゃねりんぐ系で先生となり 人を導くとか地球のためにの
方向らしい

前半を書いた人は ある問いを問い続けたら
意図してなかったのに宇宙の外にほおりだされてしまった

そこからゆっくり戻ってきた

(あ・・・私自身 出ちゃった、とは言ったけどどこに出たのか
ちゃんと時系列で言葉にしていってないわと此処で気づく
時系列に並べない所もあるし)

戻った時
先駆者たちの言葉を読み 誰がどこにいたのか どういう人達に言っているのか
内側にあるものを検証してリライトした
遣りたい奴は勝手にやれ

本人の今後の探究はこれ、
その中の一文で、あ・・・と思った部分もある

***

とにかくエゴだ、
(この本で言う処の自我エゴではない、念のため)という事実が大きくて 一緒くたにしてた


問い、根源となる部分、己の苦悩かなりの負荷があって
なおかつ 行に対するような何かを遣ってないと普通に無理らしい

瞑想・・・気持ちいい・・・で悟・・・は訪れないらしい

逆に言えば 己の苦悩かなりの負荷があって・・・という人生ならば
その人生に対峙していたのなら いきなり、中や大もあり得るのらしい

うーん 小とか中とか大とか
そもそも悟りたいとか思ってないので自分がどこに行ったか分からん

だけど私は死んだし魂も死んだし すべての過去が死んで 落ちたのは分かる

3つの地点だと思った時のバラバラの記憶を繋げたのか
その後に 瞬間的に闇を抜けたのか
トーンダウンした時に起きた点と点を覚えていたのか
そこいらは分かんない

夢で悪夢や印象深い夢は覚えているけど目が覚めたら忘れているような

自分がしんだことが分からなくて 生きているときと同じように
身体が覚えてる習慣で生きているけど
あれ?なんで誰も気づいてないんだろーとかあるじゃん、あれに近い

戻って私の習慣をしようと・・・あれ?なんだろ
受けがなくなってる・・・???
ぼー
ぼー
ぼー

あれ?
なんで私居ない?
出ちゃって別の誰かの視点で見てる?
なんだ、これ←己に対して 猜疑心・・・があったので遅れた


その前 たしかに負荷はかかっていたし 受け切らないと終わらんと思っていた
今が一番楽だ、これからどんどん大変になるのだ、と言われた日にゃやるしかないだろ!?

もう限界・・・と思った
喜怒哀楽が一緒に大群でくるのはキツイとも思った

だけど 群衆で押し寄せて来るのだから受けるしかないじゃんか、と・・・。

***

体験談の中に過去はどうだったかとか
子供の頃の願望を回想していたので 私の子供時代も書いておこう


@小さい頃の願望

教室とか家で空を見て あー早く脱出したい
繋がれた牢獄から出て自由に、思う存分 すべての時間を自分の遣りたいことだけ、追究したい

時間が惜しい 1秒だってどうでもいいことに使いたくない
早く大人になってずっと自分だけの時間で生きたい


@それって わかんないなーと思ってたことも書く
(そういう疑問やこうだろと思っていた性質がのちのちに繋がると思うので)

@嫌われる勇気
@ワクワクを選ぶ

私が なりたい!遣りたい~!と思うことは
なる!遣るに直結する ほとばしる衝動を抑えられない
落ち着くには やる、だけ

30歳くらいまでは周りも遣りたいことがある、そういう人ばかりだったので
遣りたいことがある場合はそういう状態になると思っていた

だから とりあえず特に遣りたいことがない人が
どっちでもいいのを選ぶために ワクワクする方を選ぶ、という方法論かと思っていた

それって 落ち着いてどれがいいかワクワクを選ぶ余裕があるということだから
明らかに とまらない衝動とは違うじゃん?みたいな???


体験談を書いた人は小さいころは冷めていて違和感を感じていた、けど
思ったことは何でも言うから・・・感情的にはならなかった
それでいいのだ、と思っていたらしい


だけど それが起きる前は体の苦痛、それも集合的なものを自分のことのようにウケて
気絶できたらいいのに、狂えればいいのに、とか そうならないから
行をするしかない・・・が、すごい抵抗していたらしい 


思えば私も戦っていた

日常では親や学校、周りの大人たちは一体全体なんなんだ?
体から抜けようとするのを押しとどめるこいつらはいったいなんなんだ?
そもそも私の人生に何で介入してくるんだ?
中にいるやつ(魂)もなんなんだ?
負、闇のエネルギーとか、ぎょとするようなお化けたちもなんなんだ?

なんの権利があるんだよ
私の人生は私だけのものであるはずなのに

私は絶対にお前らには屈しないから!!!と思ってた


だけど幼稚園に上がる前から 自分がヘンだと思っていたので
シンリをやっていた時もやってくる人たちを観察した


だから 物語を書いたときは 特定の人に読んでもらう前提だったので
出逢った中での平均的な部分だろうところを創り上げた
体験は私の身に起きたことだったりもする

あれが私自身だと思った人も居たみたいだけど
あれは私ではない虚構だ
己の特異な部分は削ぎ落しているから

当時はううーん、大多数の傷を負った人たちと私が違うのは
みえないものが視えてるからかな?と思い

すぴに行った時はううーん、
幼少期トラウマになるような傷がないからかな、とか思ってた


弱音を吐いたのはウケが半端なくなってきた時だと思う

これ、私が居ないほうがいいんじゃないか?
私の意志を無くして従ったほうがいいんじゃね?

あの時に私が従っていたら、此処には来なかった

***

端折った部分
(自分の中でそこは大した問題ではないと思ったけどこの本を見て気づいた)


一度、失敗してる (此処を書いとかないとダメだ)

視たらわかると思っていた
当たり前だけど光なんかない真っ暗な闇の中だ
私の意識・肉体が終わろーとした時 止めたのは魂

その時、なんだよ?
そもそも私に問題は残ってねーということじゃんか
私は私の人生の中で(課題)終わってんじゃん

諸悪の根源、根本はお前らやん
あんたたちの問題を私に押し付けんなよ!

なに躊躇してんだよ?
いくじがないなぁ!!!
どいつもこいつも、だから こいつらが残ってるんじゃん

ざまーねーなと思った
その時に私も、魂も確認してる


そこで思った
そもそも私が終わっても 魂が終わっても
集合体としての意識があるならば 宇宙は相も変らず存在し続ける
それってどうなん?

・・・魂は肉体を持ってすべてを経験したかった、一部納得してたけど

だからこの世は地獄、あーあ 、やんなっちゃう、
になると違和感・・・違うよね?

天国とかワンネスだって 地獄だよねーと思う私ってなに?

結局、だからどうしたこの輪廻が続くだけじゃん?

転生とか次元上昇とか、時空間とか異次元とか
なにもかも創られるもの全部が全部うんざりなんだよ


・・・いや通過点だし・・・ん?通過点って言ったか???

ああ 創造主を消しちゃえばいいのかそれ(創り出す大元)がなければ終わる?

ここらは誰が、あるいは何が、思ったのか定かではない

正確に言えば 虚無の闇を通って創造されてるものの外側にほおりだされた、ということだ

時間で言うと 同時に起きたかタイムラグはあると思う 

意識が戻る・・・正確じゃないな・・・肉体だ、これもちと違う

言葉が出ないな
・・・無から戻ったときに3ヶ月くらい経過していた、時点で最初の文章を書いてるので
衝撃を受けた部分のみ強調して 欠落してる


創造する主、と問うたから外側へ 出てしまった
それが何かといったら、エゴだったとこに衝撃だった

前半を書いた人の絶対無というものが私が求めてるものかは分からない
そもそもの問いが違うので 置いておく
 
話を戻すと

だから 【無が在るを含んでいるという無】はウソじゃん?!
こうしている間にも 漏れたものをどんどん創ってる

すべてがない、という無も創ってるし 宇宙を 観察するものも創ってる

歴史もつじつま合わせじゃん?
なにもかも全部 存在するための罠じゃんか

そもそも何も存在しなくていいのに・・・

そこで終わっていたら ラッキーだったけど戻ってきたので
完全に終わらせる方向にいく・・・しかないな
いやー結構ヘビーだよね・・・目に映るものすべてということだよね

***

前に地球のコアまで行った時 うすうすわかっていたけど
同じ目的の人誰も居ないじゃん!?と少しショックだった

“私が”白い部屋で科学者みたいな人に来たね、と言われて遣ったことが
本を読んでつながった

何故、魂が待ったをかけたのか、とか
私じゃなきゃダメなんだ、彼ではダメなんだ・・・戻される・・・と思ったのか

なんかいきなり(肉体が死ぬかも・・・)と思ったのも

ぞっとした・・・かなりきわどかったみたい

ぞっとという意味は 記憶がなくなって生まれ変わればどうでもいいだろうけど
これをまたやり直しはいややん?という部分で

いやはや無知ってヤバいな、
いや無知じゃないと躊躇するだろうな
これくらい続いたら、肉体が死ぬ、とか大のままではもたない、というのがあるらしい

ストッパーがかかりトーンダウンする、あるいは至高体験になるようだ

だけどシナナイという体験を何度もしてるとちょっとやそっとでは死なないと思うよね

白い部屋・・・念のために書いておく

私が、と言ったけど その時、魂は居たのか
私は居たのか 彼は居たのかという確認はしてない

なんとなく私(今生の意識としてのわたし)だと疑ってなかった、というだけ

そう考えると誰かが止めた 私と、魂を確認した、というのもあやしいということになる

誰が、何を確認したのか、あるいはしなかったのか すでに何もいなかったのか

放心していた3ヶ月後のさらにあとで始めて、誰も居ないと気付いた
魂も私もかれもなにもかも・・・、という処から始まってる

誰かと一緒に住んでいたら、放心自体は もっと早くおさまっていたかもしれない
だけど誰かが、あるいは何かが、肉体の維持はしていたのだろうと思う


・・・ネットで荒行を成し遂げた人について
友達がなんでそんなことするんだろ?意味があるんだろうけど・・・と言ってた

私自身はがーん、全てうそだ・・・全部一緒、同じ・・・衝撃の余韻が残っていたので

よいん、よいん、よいんのまま

同じだよ、楽しいを求めるのも苦も・・・ちゃんと答えなかったけど
それが楽しいからじゃん、ということだろーと思った


私にとっては楽しいとか、苦とか、そんな部分 どうでもいいんだ

で・・・はたと気づく

なぜ彼ではダメかと思ったのは 友とやっていた時に来た悟ってる(?)人にかぶる

無関心、世間にも己にも、
つまり何かといえば
たましいチックだと起爆剤として作用する自我がないんだ

どーぞと言える、ただそれだけだと躯体を持った意識が希薄で、欲がない

すり抜けてしまう

最初に意識の自分が肉体を使って満足しないとどこにも行けない

意識としての己がもういいやと思えないと
苦はいや、とか楽しいのがいいな、ワクワクを求める

まあ、大体は肉体を使う目的が快楽らしい

少し前に読んだ
例を挙げていた人ではなくてその前に荒行を成し遂げた人が言ってた
「苦行だと感じたことはない やっていた時は悦びを感じていた」

***

今だから分かることがある

以前 故郷の総意にいう言い方をしたけど

コアに向かったのが 何故あの時期だったのか
・・・終りとか
破壊を前提とする場合、あれがギリギリのラインだったんだ


ネットに挙げたかさだかではないのだけど
時系列で1年後くらいにコアに向かった人がいろいろやったと・・・
基本的に上昇を目的としてる

当時は、や~ん似非
・・・闇、やみ嫌わなくてもいいじゃん?
そんな親の仇みたいにしたら
闇が気の毒だ・・・私が行ったときそんなのなかったしぃ
としか思わなかった


誰も居ないじゃん?!と思ったのは、それを目的、通過点としている地球人が居ないだけで
輪廻を前提としてそれを地球で保存する人は居るのだと思う

だからその人達とも時間がかぶっていなかったのだろう

***

体験談を書いた人と向き合っていた編集した方は本人だけではなく
集合体を相手にしているとわかっていた

もし本人が変化したら集合体はどうなっちゃうのか、と思ったらしい

そういうとらえ方だとあまり違和感がない

いや待て 興味ない~という類のジャンルで
ツインとか同じ所属のグループとか言ってる人たちがいるけど
何が薄まったのか、鏡とか・・・分かる気がする

ここ数年で出た非二元も分かる気がする


ちなみに私の性質的には前半を書いた人のほうがすんなり入る
そんなつもりなかったのに、という点とありゃ知らない間に私もそれやっていたわという点で

前半書いた人も、体験談書いた人も
編集した人も、虚無の人も あるいはAさんも
私とは前提や目的も違うので これからの私の参考にならないけど
そういう視点で見るのねという部分で役に立つ


細かい提示はまた改めて・・・





2017年1月12日(木) 12:57 ココに来るまでの経緯 PERMALINK COM(0)
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