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西暦2017年3月9日(木)

【それ】って【それ】だったんだ・・・。

今まで認識を間違えていた部分、気づいていかなったこと、他者や存在、己の魂にすら
ほとんど言ったことがないことを書いておく


+++


私←(私の意識を指す)は生まれてから、今まで、味方は誰ひとりとしていなかった

味方とは=私に対して口出ししないこと

だから、外側に居る親や 周りの大人も 友達も、存在もエネルギー体も
肉体から出さないように必死越えてる大勢の存在も 

内側に居る魂ですら私にとっては 異質であり “私とは違う”他者だった

つまり【私の意識】は孤立無援だった

で・・・ここで、大体 他者は勘違いする

孤立無援ならば 寂しくて求めているのねーと・・・その前提の上に誰もかれも私を見る


私からすると 何甘っちょろいこと言ってんだ?ぬるいなーという感じ。

そこしかないのに、他があることは知らないし 思いもつかんわ、
比較するものが無いのに 在る前提だから、在るが見えるのだ

どんだけぬるま湯?底辺知らなすぎ・・・。


私が【依存】という言葉を使う場合 シンリ・心理療法的な意味合いだ
相手をコントロール支配する=依存、と使っていたんだけど 世間的には意味合いが違ったようだ

「依存はダメじゃん?あの人依存してるしー」軽いな

すぴ系・・・ずっと前のこと 私の意識が魂のことをガン無視してた時
数人から連絡があって激怒された

その時、全く意味が分かんないんですけど・・・と思った


どれくらい意味が分かんなかったか 私の違和感、そのままでいいので言葉に出すと


実の親が子供に性虐待する・・・全く意味分かんないというのと
同列くらいに
意味分かんなかった


いやいやマジに怖いから!

なに 盲目的に魂=正しい=従う、になってんの?
それって 神のえんぴつ、みたいなこと?
もしや・・・そこを目指しているの、みんなは???


言われてはじめて私との差異に気づいた

他者に「わたしどうすればいい・・・?」と聞いて指示してもらう、か

魂に「わたしどうすればいい・・・?」と聞いて指示してもらう

つまりどっちもこれでいいのか?あってるか確かめて安心する、

私から見れば それ同じ穴のムジナ、だ

これ、どちらに対しても批判や 否定しているわけじゃないんだよ

他の人たちは 己が安心できるような【絶対的指針】がある、ことにびっくりしたのだ

すげーな、みんな・・・なんでそんなふうにできるんだろー?


私はずっとこの人生の岐路から 日常の小さいことも【私の意識】が決めると思ってた

だからあそこでは魂に合わせる練習もあったけど
基本的に、すべて【私の意識】が意志、決定=自立だと疑ってなかった


他者にも、魂にも「どーすればいい?」とか相談したことはない

魂に合わせて「やはり、こっちで合ってるんだ」とか確認もしない

なんでするの???間違っていたら方向転換するため?
合ってたら、安心するため???

私はしないよ 意味わかんない。。。

だって間違っていても好いんだ、私の人生なんだから
【私の意識】が十二分に満足しなかったら、死ぬ時後悔するじゃん!

これは環境と性質によるものだろう

で、最初に書いた【それ】って【それ】だったんだ・・・という話になる


あちゃ~【それ】のことか
【それ】の説明をされて はじめて認識したわ

なんだ、【それ】だったのか・・・。

【私の意識】気づいてなかったわ 魂は、【それ】を知らないよ

魂の本質は【それ】と相反するから

そして今まで生きて来た中で【それ】だよ、と言ってくれる人(あるいは存在)がどこにも居なかった

たぶん、永い、永い輪廻でも居なかったんだろう

通常【それ】は認識されない、そして【それ】を体験しないと分からない
例え体験しても 現象が収まれば記憶にも残らない

ただ、私の意識が、今生の私の意識達に「それ」と言えば認識できるだろう

もしその現象が起きると仮定するなら
ナチとか長期虐待などで「生きながらの死者」状態で居る人だけに起きるだろう

これだけは言える 永久に(すぴ系でいう処の)【魂】は知ることが出来ない

+++

原稿が 前に書いた残っていたので補足説明につけておく


§生きながらの死者§

ギリの状態・・・状況下にいたら どんな人でも【背骨が折れる】体験をする

一般的にこの過程で2つの段階があると言われている

第1段階は【ロボット化】
(ナチのホロコースト犠牲者の治療を行っていたヘンリー・クリスタルがこの状態をこう名づけた)

生き延びるために己の内的自立、世界観 つながり 感覚・感情 思考 を放棄する
この状況をとおりぬけて生き延びた人たちは人間では(違う生命形態に退化した、など)なくなったと言う

私はお人形、植物だとか 生きるしかばねだという人もいるが 同じ状況を表現しているのではないかと思う
 

この心理学的退化状態は 可逆的と言われ 屈従期と精神的抵抗期がその時々で交代してやってくる


第2段階は【生き延びようとする意志の喪失】

コレは俗に言う 自殺を考えること(自殺念慮)ではない
監禁状態に置かれた人はいつも【自殺幻想】を抱いて日々送る=生き続けようとする一般的決意と同じ

ティメルマンは極限状態においては 自殺への意思は 抵抗と自尊の証であると述べている
「自分の日常生活に自分を取り巻く暴力と対等な立場の何かを持ちこむこと」

そのスタンスは積極的なものであり 生きることでもある
自殺は 内的支配感を保存してくれるということ


つまりどういうことかと言うと 
制圧されて 奴隷のような状況下にある自分(お人形が)唯一できること・選択することが
「自分で自分をコロすこと」、その考えにいきつく


それをいつも夢見ることが 逆に 相手に支配されないでいるアイテム
「自分の存在を自分で支配できる力」が残っているとその希望をもつことで 日々を生き延びようとしているのだ


これに反して 生きる意志を失う(喪失)は
過程の最終段階であり【絶対的受け身の態度】を採用すること

すなわち 生きながらの死者をつくるということだ

ーナチの絶滅収容所の生存者は この必ず死に至る状況を記述しているらしいー

この退化点に達した囚人はもはや食べ物も探そうとも暖を取ろうともせず 殴られるのを避けようともせず
生きながらの死者とみなされた


+++

一応 書いておく

エネルギー体、生命体、宇宙人を含めた存在する宇宙【遊園地】から脱出する場合、という前提の話をしている


すでに魂も私達も居ない今だからこそ 全面的に訂正しよう


随分と前に、友にそんな目に合ってなんで身体に居て、生きてられんの?と言われた

私もよくわかんなかった そんな目に合った人達は、壊れていたし
魂が決めているから、という説も そうかなぁ微妙だなーみたいな


【心】をゼロに置いた、あのイメージによって 
友は納得、人間じゃないのかと思ったと言ったけど

あれ、「完全に間違え」だったわ←今ソコを敢えて 訂正するか(爆)?

私の意識は この世界に馴染もうと知識を仕入れ 魂の概念も受け入れ
(私の意識的にはしっくりしない 微妙だったのにもかかわらず)

大多数の人が納得できるようなイメージを渡してしまった

そういうのがけっこうある

これは【遊園地】に留まる場合は「正解の答え」となる



+++

そう、その通り・・・【それ】は人間じゃなかった

説明してみよう、私の意識達なら通じるはず


身体から抜けられない、
外からは攻撃されている
ましてや魂なんて当てにできない状況下で出来ること

図らずもそういう状況が「それ」を示唆した

【私の意識】も【意志】も【心】も【思考】も【肉体】も
【感覚】も【魂】も【記憶】もあるべきところ、其処に置いたまま

「点」になる現象=「それ」

肉体を抜けてどこかに行くわけではない
ましてや魂に合わせて一体化するわけでもない
ほおけて イメージの世界に逃げるわけでもない

私のパーツはすべて肉体に置いたままで
【それ】となり 凝縮されて「点」に在る

それはなんびとにも傷つけられない
損傷を受けない

【それ】は現象だから、私が体験している訳ではない

そして いつも【それ】が起きるわけではない

逆から説明すると、その瞬間はなにもかも生まれる前の瞬間の【点】

他者から見ても魂から見ても、私の姿は 現実に対応しているように見えるだろう


だけど【私】も【心】も【思考】も【肉体】も【感覚】も【魂】も止まってる

・・・生まれるという意味は、認識されて 
はじめて【私】となり
【心】であり【思考】であり【肉体】であり【感覚】であり【魂】となるから

認識されなければ 気づけない 
気づけなければ 記憶も残らない
何が起きたのかも、あるいは起きなかったのかも 分からない


だけど、
【私の意識】も【意志】も【心】も【思考】も【肉体】も
【感覚】も【魂】も【記憶】もあるべきところ、其処に置いたままでないと起きない


どこでもない、此処で・・・起きるのだ

意識もろとも身体から抜けている時はちゃんと私の姿を見て
抜けてるじゃん!と認識して記憶にも残っていたから
解離してたのか、とつなげていた 何もかも違うかも・・・だ

今となってはどうでもいいけど 私のラインにいる私に書き残す



【それ】だよ、【それ】と言われて はじめて認識した

あっ・・・

【それ】が我が家 我が家は2つある【それ】と最終の【無】だ


ああ・・・そうか・・・そういう意味だったのか
言わんとすること、やっと理解した

どおりで、他の人みたいに故郷に帰りたいとか無いはずだ


いつだって ギリギリの時【それ】が起きた

【それ】は私の記憶に残らなかったけど赤ちゃんの私ですら馴染み深い

だからこそ刺激も他者も居ないこの部屋で3ヶ月も気づかず
さらにあとから 「私が居ない」って気づくのだよ

違和感を感じたり なんで・・・?と思っていたのは “それ”だったのだ

温度差、差異・・・私の意識達に言っておく

たぶん、そういうことはしないと思うが
流されて まあいいか、いつか分かるだろうは絶対にやめな

違和感と疑問は放棄するな

ずっと突き詰めていけ、
もう世界に答えなんてないのか・・・?という処まで行け!
突き進め!!!

以前読んだ本で 考えることに関して
システム1とシステム2という表現があった

性質的にシステム2で考えてると知った

それは環境がそういう土壌を創った

そうして生きてきたことが 強みとなるから

それがどれほど大切な過程か今は気づかないかもしれない


最終過程で もう考えるのもうんざり、という処まで行かないと

そして圧倒的な敗北を迎えないと思考はシナナイ(落ちない)んだよ

心はすぐシぬけど、思考が一番生き延びるだろうし 難しいのだと思う

少しでも思考が生き延びたら、あれこれ考えて不安になるし記憶が戻る
そして記憶をもとに比較が始まるから


話を戻す


ひどい、とか はぁ?
許せない、とか??? 

ギリギリの意味
ひどいとか許せないなんて、すでに落ちてるから

生きるしかばね的状況は
しんだことないと想像できないかな


・・・あのね 日常で
死ぬことに慣れるってこと、何度も何度もしぬこと

立ち直れないくらいにコテンパにしぬんだ

全ての部位がね、これでもかーというくらいに

心がしぬこと
感覚がしぬこと
記憶がしぬこと
もうこれ以上考えられないってくらい考えて思考がしぬこと

頭の中にある思考VS思考がしぬこと
夢も希望も絶望も こうしたいああしたいっていう意志もしぬこと

私がしぬこと
魂がしぬこと
すべてがなにもかも、どこもかしこもしぬこと

もうなにもない、なにもないってことすらわからないくらいに
すべて落ちた(しんだ状況)のとき

【この地球の場合】でいうとそこで はじめてスタートなんだ

だから可能性は「生きながらの死者」かもって言った

で・・・そういう目に合った人はまんま肉体に居たから壊れてしまった
だからと言って魂に合わせたところで【それ】は起きない


何度も言うけど【存在するという遊園地を脱出する場合】だからね


+++

以前 止まらない、とんでもない破壊力で自滅衝動が起きた


今なら伝わるかな
と言いつつ、キミがどこに居るか知らないで、適当なこというけどね

私が「死にたい」ではなかったんだよ
もし私自身なら 死にたいではなく消えるだけだろう

私ではない・・・中から有無を言わさず ころそう、とする力がかかったから


友にも聞いてもらった
たしか・・・魂は平然としてるから大丈夫だよ、と言われたけど

あれ・・・?
あれは 別の時に言われたのかな、まあいいや
置いておき・・・話を進めると


ちがうんだ そーじゃなくて、たぶんなにかがちがう

生き延びてしまった私の勘が違うと告げているが、

もうダメかも
飲まれる のみこまれる 

消えてしまう 私が・・・意志が・・・飲み込まれてしまう

やば、やば、やば

いやいや人格が 別人格にころされるは聞いたことあるけど
なんじゃこら???

すげー破壊力
無理無理無理・・・ムリでしょ、
私ではもはや止められない

本気で、生まれて初めて 誰かに頼む

ー誰か、止めてくれ~!!!

どうにもならない、ヤバい、ヤバいって
あれは怖い・・・衝動・・・内側からあっという間にコロされそうになるんだよ

制御できない、これは 

全然死ぬ気でなかったのに
こうして死んでいった人もいるんだろうなーと思った

あれさー正確に言えば
魂が、私の意識を肉体もろとも消そうとしていたのだよ


何故だかは 今なら分かる

あの時、死んでも死ねないよと言われて落ち着いた

死んでも死ねないよの意味はあの当時 思いもよらなかったけど

あの言葉は助かったわ・・・しゅるるるって衝動が消えていったから



ある漫画を読んでいて ああ・・・と思ったのだけど

本質を肉体に入れた
だからカケラは本来の場所へ戻ろうとする
それは「存在する世界」だ


トラウマの環状島のごとく 違和感

何故、目の前に「生きながらの死者」が居るのに
楽しもう~!人生楽しまなきゃダメ、愛だよ~!!!と言えるのか

状況は刻々と深刻になってるのに

何故そんなに軽いのか お祭りになっちゃうのか

だからコアで根を張った私を通り抜けていった地球の人、誰も居ないじゃん
そんなもん、本当は 誰も望んでいなかったんだよ


こーすでは、我が家=愛 というイメージで語られている
エゴは逃げ続けている

怖いんだ、それも もう発狂するほどに怖いのだ

追いつかれて死ぬのが、コロされるのが・・・正視できないほどに

だからごまかすのだ
キレイな言葉で 心地よい言葉でささやく

何かわかるか
まんま 人間がやっていることだよ

人間はたいしたもんじゃないよ、と生きるしかばねは言えるのだ

だけどそれ以外は【私の存在には意味が在る】という幻想にしがみつく

だから争う
わかるか・・・?日常で起きていること

どっちが正しいか、間違いか
何でそんなくだらないことで争うのか?

別に生死はかかってないはずなのに

いーや、生死がかかっているんだ

思考でも 心でも、
負ける=しぬこと=エゴが死ぬ=存在しない=抹消される
無の恐怖をほうふつとさせられるから

それは人間の成分がエゴで出来ているからだよ

二人以上集まれば、いや一人でも頭の中で思考と心が、とか
ずっと争っているのを見たら どんだけ怖いんだ?!って思うよね


そう・・・生死にかかわるような目に遭った人ほどには
死ぬのに慣れていないんだ、大多数は


そして私は価値が在ると思っていたいんだ
価値がないと死んでしまうほどだから


いやいや そんなプライドなんて真っ先にしぬから
私はただ転がってるうつわ・・・

そう・・・生死にかかわるような目に遭った人ほどには
死ぬのに慣れていないんだ、大多数は



+++


待ったをかけられたとき何が足りないんだろう?
そう思ったけど 逆だった


あの時 私は持ちすぎていたのだ


大元に行く、という意志も
無への望みも
凍結はキツイかも・・・なんていう思考も

なにもかも
すべて落ちる(死ぬ)とき

思い出すべきは小さい頃の私自身
なにもない・・・なにもかもが無くなったとき

静寂
そして【それ】が起きる


【それ】は、私でも魂でも本質ですらないのだ
ましてや、人々が言うような甘っちょろい愛でもないのだよ、明智君。


ごまかすな、
夢を見続けたい者はみるがいい【それ】が言ったのだ


明智君が近づいて来た時、彼(本を書いた)のように
「私は狂人か・・・?」とは思わなかった


「私は、すでに死んでいるのかも・・・」と思っただけだ

小さい頃から感じていたように 死人か・・・?

実は死んでいるのに、気づいてないのかも、と
まさに生きるしかばね、生きながらの死者がしっくりくる


だから 突き付けてきた力は 【それ】で
それは彼で 彼が明智君で 明智君は私だったのだ

地球では狂人で死人だから、それが起きた


空気のなかに密度の高い凝縮された私達がいる

ぜんぶ、わたしで、そして消えた 


私は消えたから それ、だ


だけど 敢えて 私の言葉でいうと
やっと・・・エゴと分離した


なにもない
何者でもない

だから

生まれて初めて ゆるんでいる

静かに幸せなのだ

静寂の中に、、、(点)








2017年3月9日(木) 20:58 *今のキロク* PERMALINK COM(0)
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