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西暦2016年6月14日(火)


@ワークをやって気づいた注意事項@

+++

私が辿ってきた時系列で もれなく遣っている存在達は気づいていると思う

逆に分かっているからこそ、当たり前すぎて いちいち言語化して確認しないだろう
だから、ここに書いておくので一読されたし

+++

しかし、別の道から辿っているもの、
また私の時系列で 西暦2006年以前に居るものは
この記述を読み 注意されたし。

+++


今の私は、今のAさんブログ同様に キラキラ概念は否定している

しかし、己の心を深く辿る訓練をしてこない者が
そこだけを読み、理解してしまう事に 危機感を感じる。


今 ココで生きて

他者との交わりの中で生じる想いや
己の考え方のクセ、さらには無意識の望みなどは

表層に現れた己の想いを認めて
どんどん奥へと己を見つめていく訓練を重ねていくうちに
己をいうものを理解する


その先に、

【相手も己も変わらない存在である】

もちろん、最初から魂レベルで己も相手も見る存在も居るので
人それぞれではある


しかし 物事を多角的に見る事は訓練によって可能だ


それは魂レベルで同一で在る、という訓練をして往く事で
体験的にも、感覚的にも、気持ち的にも、体系化されていき

物事を見る目が
この世界にどっぷりと嵌まる近視的見方と
俯瞰する言わば 宇宙やワンネス的目線とを構築していく


それ自体は知識にとどまわず
心身ともに(身も心も頭脳までも)腑に落ちていく


だから
そうなのかな・・・?と疑いながら

・・・でもこういう風にいうしーと
気持ちをムリに抑えつけることもない

腑に落ちれば己にとっての事実になるからだ

それから さらなる道に分かれ

いずれ コース的概念に到達して
その後、さらなる道々に分かれていくだろう

そうしていくうちに
コース的な見方を含めたすべてがひっくり返り
すべての概念の否定へと繋がっていく

この時点で、キラキラ概念の否定となる

あるいはコース的概念を飛ばして
すべてがひっくり返るモノも居るだろう←ちなみにこっちが私だ


Aさんのブログのどこかに書いてあった概念的流れ

第1段階 心理学レベル
第2、第3~~~

【事実を突き詰めたければ】 あの道すじに同意する

【この世で生きていくためであるなら】ば
別に あの道すじである必要性はないが・・・。


+++

先日、ふっと察知した存在を見て
書いておこうと思ったのだ

+++



あくまで、私の言い方になるが・・・

一度、【すべての存在は、己の中に在る】みたいな

例えれば ユングの集合的無意識のようなものを
感覚的に受け入れる、という道のりを経て、というのが重要だろう


そうでないと

いずれ【すべては同等に無で存在しない】
(聞きなれた言葉ではあるが)

本来のこの言葉の意味するであろう領域に往きつかないだろう

言葉としてすら 受け入れられない

この言葉を知っていても 幾重にも 何重にも意味を変えて
何度も概念は 通り過ぎていくのだから

そういう意味では、順当な流れで己をシビアに見ていかないと
いろんな処で取りこぼしが起きる

いやむしろ、取りこぼすのが本筋の目的にさえなるだろう



~キラキラ概念はエゴだ~~~

この一文は
私の流れで来た者達は、こう読む

「もちろんそうだ

もっと正確にいうならば

キラキラ概念は、の「は」は
キラキラ概念「も」だ

「は」と「も」は違う
「も」=すべてがエゴである

ここに至る過程は「すべてがひとつである」という概念を受け入れたのち
(いずれかの地点がくれば)【「すべてがひとつである」という概念】もエゴである、になる」、だ

だけど・・・その手前において

【すべての存在は、己の中に在る】
ユングの集合的無意識のようなものを受け入れていないならば

誰かに対して、己とは敵対する、許せん、
一物が残ってしまっている

その状態でこの一文を読んだのなら

キラキラはエゴなんだ

ならば、キラキラ概念を採用しているヤツらこそが
エゴの廻し者だ!!!

と、理解して 己の特別性を温存させる口実となる
私は違う!!!とな。


つまり「この世界は嘘だ」という前提もないし
本来あるはずの己の中の想い(怒りや憎しみ)も引き出されることがない


己の中に有るドロドロしたものは存在しない=善い人=正しい

どこまでも己の腹黒さは隠しとおし
だからこそキラキラとかキレイごとを言ってる奴らがエゴだ、という受け取り方となる


隠さずに見たら、想いに善いも正しいも悪も間違えもない、というのは分かるのに
ただ、在るのだ・・・で
終わるだけだというのは、分かんねー


いろんな考えがあるから、例えば100あったのなら
そのひとつだけが正しいというようなものだ

キラキラもエゴだ、という言葉は、簡素化されて 記号化されてしまう

いやいや そこに至るまでには 段階があって そうなってるというのは理解できない

経験して、そこから導き出した仮説があって、あれこれやって
なら 次はこうで、ああで こうなったから

じゃー これをして―という過程の中で分かってくるものがある

それをすっとばして、というか すっとばして、ということすら気づかず

誰かが言った言葉を額面通りに受け取り、分かった事にして、終了!



心理学領域で「喪・モーニングワーク」というものがあるやん?!

喪失、悲嘆の心理過程・・・5段階とも12段階とも言われている

一気に喪失(死)を受け入れる、5段階のみが正しいとか、ないだろー?

心はそういう過程を経て行きつ戻りつしながらゆっくりと受け入れてゆく

+++

「死ぬ瞬間」の著者
エリザベス・キューブラー・ロス氏は、死の受容について
それが正常な過程であるばかりでなく、
必要不可欠な過程であり、全段階が必要だと述べている。

+++

そういうのと同じように
【事実を知る】のにも過程があると思っている


大きな流れでみた時に

私と違う道を辿ってる存在が
どんどん深みにハマって迷子になっているのが見えたので

敢えて言葉として書き起こしてみた


こういうものは

今の私的には 
ー全部うそで同じだしぃーで処理していたけど
書いておくのも大切だと思った


これは本日 西暦2016年6月14日(火)
ノートに書いたものを打ち込みして そのままアップしている

§ キロクとして §












2016年6月14日(火) 16:13 *今の想い* PERMALINK COM(0)
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