スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。




打ち込みは西暦2017年1月16日(月)


何もかも消えると言われてもふぅーんという感じだろう

これを読んでいるキミはふーん、そんな世界も“ある”んだ(ありえない!)と思う
しかし 読んでいるだけのキミ自身の世界(枠・あるいは概念)は何ら脅かされていない

つまりヒトゴト

どういうことかというと、書き手の私が消えたとか、無だといくら騒いだところで
キミが信じる世界は相変わらず そこに“ある”(存在している)


例えば肉体が死を迎えたら、すべて無になる、そのあと己自身は何もわからなくなると信じている
(あるいは死んでないから分からないけど そうだろうなと思う)なら

それ(概念)は在って、境界線として存在している 外と内
キミは内側に居て己を保ち、位置を確認して 安心する


だけど 何かの事故(病)などで肉体的な死を迎えた

そばで診てた人も、この人は死んだ、と認識した・・・のにも関わらず
生き返ったとしよう

その時 本人にも空白があって生を取り戻したのなら何も問題はない

しかしその間、キミは自分が死んだ姿を見てそこで何が起きたかを見た、
それは何を意味するか

初めて【自分が信じていた内を出て外側で体験する】という体験をしている

肉体が死んだら無になるという概念が崩壊した瞬間だ

キミは戻った後、身近な人に体験したことを話す

だけど その人達が死後の世界に猜疑心←つまり以前のキミと同じ概念(内側にいるのなら)
その内側の世界で物事を見て判断する


例えば「夢を見ていたんじゃない?」とか
「生き返ったから(ちゃんと死んだわけじゃないから)」とか

・・・その人が持っている内の世界で つじつま合わせをする

彼らに悪気はない だけど内側にいる限り
答えを提示することもソレを思い描くことも出来ない

彼らにとっては
ふーん、そんなことも“ある”んだ・・・?

彼ら自身の世界(枠・あるいは概念)は何ら脅かされていない
とうてい信じられない


あるいはどこかでひょっとして?と思うとか 知識として知ってるけど
(受け入れたくない場合)・・・己の持つ世界が脅かされないように

「そーなんだ、そういうこともあるんだ?私は体験してないから、分からない」

あらためてキミとの境目を線引きする


あるいはキミを大切に思うあまり 己の内側でそれを解釈しなおして
「つまりこういうことでしょ?」と言う

それは あくまで己が信じる概念の中でイメージされるだけ
つまり、どんなにがんばって考えても 思い描いても 正しく理解することはできない
だって彼らは外側(生から死へそして生へ戻った体験)に出たことがないから

全然違う!
外に出たキミは差異が明確に分かる
まったく 伝わっていない!そういうことじゃなくて!!!
キミにとっては体験したし それは現実に起きたことだった

なんとか自分が体験したこと 
混乱状態の己にタグをつけようと、もがく

諦めずに別の人に話をすると
「あーそれ知ってる!臨死体験でしょ?体験した人や本もいっぱい出ているよ」

キミは安心する
他にも居たのか・・・そして調べる

それは今まであった概念世界の崩壊によって起きた新しい概念の受け入れ
タグ付け、意味付け

それはこれからを生きていくための作業だ


今まで持っていた世界観、それをどれだけ信じていたか
どれだけの衝撃度かによっても違うだろう

信じる世界を取り戻そうとする

もしも今まで通りの世界を信じたいなら
脳の意識などを司る領域が動いていたから 脳が視た夢・・・とするだろうし

体験を受け入れているなら納得するだろう
はなから臨死体験はあるだろうと受け入れているなら やはり在ったのかとなるだろう

どれにしても、着地点をどこにするかは分からないけど調べるだろうし
似たような体験をした人たちと語り合うかもしれない

あきらかに今までいた世界とは違う
そこは生という内側から出てしまった人たちなのでキミにとっては同志だ
 

その過程で 死後の世界に猜疑心という内側にいる人達は
なんかあの人・・・生き返ったおかげでスピリチュアルにのめり込んであやしぃ~!
とか
せっかく生き延びた命を無駄にしてないで現実に足をつけて生活すればいいのに

価値観が違う人達(枠)から見たら
ばかみたい・・・なんであんなことしているんだ?
必死こえてなにやってるんだ?
いやいや なんであれ あそこまでできないよ
など 噂する

何か言いたい人達は
生き返ったことに意味があるのよ これからは 命を大切にして幸せになって
神様が生かしたのよ 戻されたということは あなたにしかできない使命があるのよ

もういいじゃない、こうしてここにいるのだから 前を向いてしっかりやって

これらは 例えば 竜巻が起きて進行方向に位置する家が巻き込まれ
崩壊していく家に問いかけるようなものだ

「なんで壊れていくんだ?」

家に話せる余裕があったら
「そういう次元の問題じゃねー巻き込まれてコントロールできないんだ!!!」
「そんなの知るかぁ!竜巻に聞いてくれ~!!!」
「ぎゃあー」

「おい、竜巻 なんでお前はすべてを破壊していくんだ?」

竜巻に話せる余裕があったら
「そういう次元の問題じゃねーおれ自身がコントロールできないんだ!!!」
「そんなの知るかぁ!おれが生まれるきっかけになったものに聞いてくれ~!!!」
「ぎゃあー」


ただいまコントロール不可能中、そこにいるしかない、
いるしかない、のも認識できてないかも その最中は、崩壊中は・・・。

私は ←(文章を書くために私と書いてるだけでただの記号だ)
全てが消える前どうだったかな

漠然とすべての終りのおわりや始まりのはじまりは在ると思っていたと思う

こうだ、という確信はなく・・・まだ分からないけど・・・無、は在るだろうという感じ
何処にあるか、そこに行くためにはどこを通ればいいか、どうすればいいかは考えてなかった

こうだろうなというピースはそれぞれの場所にあったまま 
敢えてそれを結んだりしてなかった

転生はない、と言う人なら 肉体が死んだら終りで無だと思う

体験から 私自身は そうは思えなかった、
宇宙や銀河は在る 肉体を持つために通る次元はあるだろう
量子力学やスピでいう12次元・・・だけどアストラル界や次元上昇などは全く興味がなかった

パラレルワールドも全く興味はなかった
ウィキに書いてあった解説で  我々の宇宙と同一の次元を持つ

「この現実とは別に、もう1つの現実が存在する」というアイディアは、「もしもこうだったらどうなっていたのか」

SFのパラレルワールド小説を読むくらいで そもそも 自分自身に置き換えて考えたことがない
*興味がないものは考えたことがない*

ああ、なんか分かった 同じ私がいて全然違う人生を歩む・・・と想像する時
見た目が私で肉体も私で私の意識で、というイメージが無いんだ

それは、もう同じ魂、あるいは同じ本質を持っている別の人の人生になってしまう

「異世界(異界)」、「魔界」、「四次元世界」などとは違う←これは体験している、と思うのも
同じ魂を持ってる私とは違う人の人生と捉えているのだと思う

こういうのは、意識してようが無意識だろうとそれぞれが信じる信念体系に依存されるし
その信じる世界の中で考えたり思ったり行動したりしているんだと思う

記憶を消したい、とかこうなる前に戻りたい、あの時点からやり直したいという人もいる

私自身キツイとか苦しいと言葉で言うけど渦中はそれを体験することに集中してる
渦中を出た後 改めて記憶を消したいか、とかやり直したいかと問われたら
真っ平ごめんだ これでいい、と言う

せっかくあんな思いしたのに、あれは私が経験した私だけのもの
なかったことになったらそれはすでに私ではなくなる
RPGのダンジョンでせっかくレベルをあげたり手に入れたものがあるのに
そしてダンジョンを出られたのに
がーん、セーブできなかった、ショック・・・というのに近い

SFなどで失ったものを戻すために分岐点まで戻りやり直すという設定がある
あれもそそられない

自らそれはやらない

すでに、失った今があるのだから それが私の人生のあるべき結果だ

そして失う、という体験から手に入れたものは何かを見つける

簡単に言うと 人生という名の道を歩むための次のピースを手に入れた
それは私だけが必要なもので道しるべとなるものだ

だから戻ってやり直しは私ではない人生を歩もうとしているし
今まで遣ってきた己の人生そのものを否定することに他ならないと思っていた

このような突き詰めた考えを あまり他人や存在に言ったことはない
いつも 己の内側に対しては、ざけんなよーと言った

小説や漫画 ほかの人が遣る分にはいいんだよ

神という概念がある人で なぜ神は数々の悪を放置しているのか?!という疑問や怒りに対して

神はこの世を関知も関与もしていないだろうと思っていた

私にって 彼らが言う神の概念は旧約聖書の罰を与える神や
八万神・・・神社などで祀っている神様のイメージ

祀っている神様なら祟るし 望むものがあるなら何かしらの対価は要求されるだろう、という感じかな


宇宙が在る(物理学的にいう宇宙)

聖書の 初めに神は天と地を創造された

それぞれは点としてある感じ 私の中ではつながっていない

書いていて分からなくなってきた

突き詰めて考えたことがないのだろう

自分がした体験は在る、と思っていたのだと思う
内に源と同じものを包括している・・・という概念は在ったと思う

確かにあったものが一つだけ在る
「何故これが起きているのか・・・?何に気づけ、ということなのか?」
これ以外はどうでもよかったんだと思う

だってこの世は理不尽で不条理だと知っていたし

ああ・・・いつかの会話を思い出した
「どっちかだけになるってあり得るのかな・・・?」
その時 私は
「うーーーん」と言った

すべての万物は陰陽がある
例えば光と闇、愛とエゴとか

それは人でも、石でも、宇宙でも対比するものを内在している
逆に言えば 対比が無ければ 己の位置を確認できない

だから漠然と対比としての無は在るだろうと思っていたのだと思う

つまりどちらかが優勢になったとしても対比する方が巻き返したり
長い目でみたら バランスをとる為には必要不可欠・・・的に捉えていたように思う

究極的に言えば無に何かの思惑があったり何かする意思はない
だって無なんだから だけど無は在るんだと思う、と捉えていたように思う


まだ自分が居た時 膨大な量を受け続け脈々と流れていく其処に
浮かび上がってきたものがあった裏メッセージのようなもの

ここまで受けがひどくない時は
(つまり大きさの違いだけで同一のものを受けていた時には)

それぞれの過去生や集合体からのメッセージ
(その時遣った人生で後悔したもの、転生したらこういう課題を遣りたいとか)は感じた

それとは全然違う裏メッセ
相反するものが一気に躯体を通っていく
それだけでは分からなかった

その流れの中でずっと途切れることなく続く、というその中にあって
初めて気づく類のもの

当時の私の意識としては これが起きてる大元に行くというのはあった

そして何かがおかしい・・・違和感
例えば  肉体があるたった一人の人間にこれだけの量が来るなら
普通に死ぬだろー、とか

そしてその頃には
・死んだら天国あるいは地獄に行くと思っている所
(少しすぴかじったのなら 中間生というものか)

・エネルギーだけが存在する愛だけの世界

・想念が固まって動きようがない世界

ひとつひとつあげるのが面倒なので 
・他の たくさんの世界

何処に行っても、たとえ一時的に休憩したとしても

違う肉体を持って生まれるとか エネルギー体で居るとか
魂の消滅があろうが
記憶を無くして生まれてこようが
其処に組み込まれるのは 夢も希望も絶望すらない

そもそもなんのために?という疑問はなかったけど
サイクルがあって そのどれかの流れに移行するのはうんざり、はあった

と同時に

集団の流れの中で伝えられてくる裏メッセ(その時は何かと分からなかったけど)
深刻すぎて 必死すぎて切羽詰まっていて 潜在的な恐怖と消された何かで

何かを知ったとしても そもそもそこに全く触れなかったとしても
サイクルにいる限り 脈々と流れる

それを何とかする方向へ行った誰かは居るだろう
それはかなり突きつめてしまった誰かだ

人生を生きていく方向しか向いてないなら疑問すら発生しない

そして悟り方向へ行こうがそれを追究していく中では
それに気づかない

手に入れようとして手に入れた人ですらこの状態はなんなんだ???

それぞれを個人の人生としてフォーカスするならば、それはなくなる

だけどこんな風にひたすら受け続けたら、ん?っってなるよ
すごーく嫌な予感しかない

私がここで感じた何かは私が何とかする方向に行こうが
それを藪蛇で つつかないようにしようが
この後も流れの中にある限り 突き付けられていくのだよ、明智君~!みたいな感じ

その時に(肉としての)私は滅びれば終りだから関係ない、とか
大きな括りでの魂としての問題とも思えなかった
しいて言えば 全部わたしで・・・立ち位置の区別や括りはなかった

今まで考えたことがない視点で
それは大きな力(・・・という言葉しか出ないので力と使う)が突き付けてきている

今まで疑問にすら思っていなかった・・・その流れの力とは違う性質のもの

其処には意図がある

何かが違う・・・おかしい・・・おかしいと思うのは何だ?
何がおかしいと思わせている
私の内側の世界で・・・この程度は思った

だからこその嫌な予感だ

その後も存在する


・・・めんどくさくなったのでハショる


存在するために創造主は、己を問わない
だから内側にいるもの達も問えない

大元はえご、だったというのは
外に出ないと分からない

その時“在る”ために知覚が存在している・・・

つまりどういうことかと言えば
内側に戻った時に 答え合わせは存在出来ない
すべて内側にあるものは 存在するための方便 つじつま合わせなのだから

そして内側に戻った私の知覚や肉体が感じるもの
考え、感情 行動は誤作動でしかない
信じられるものは何一つない、と言う言葉でしか言い表せない

これを読んでいるキミは
「私も・・・なにも信じられない、不信感があるよ」と思うだろう

だけどそれとは違う

そこには確固たる確信、私という主がある(存在してる)と認識できて
不信感という気持ちが在るんだ

キミは当たり前にあるからそれが在るか、どうかなんて気にも留めないだろう

己だと認識できているし
不信感という気持ちを疑わない、それは気持ちは確かにそこにあると
断言できるもの 認識できる確固たるもの つまり指針

揺らがない信念があり 内側と外を区別している

有るときには疑うことがない

もうないよ、なにも・・・


空っぽ、とか無という言葉を使うと

己を見る事が出来なかったのね、だからそれを知った時消えたのねーとか

空っぽだから必死で埋めてるとか それぞれの世界で腑に落とす
それは己が存在する世界の見かた


この世界にある言葉で表すとそうなるだけで
空っぽだと認識するための境界線

つまり 私の体だ、と区別するものは もう ないんだよ

ないのに どうやってそこに入れるんだ?

消えたのねーというけど
認識できてた世界がないのにどうして消えたと分かるのか?


とりあえず己自身が在る、そして世界が在ると存続を願うなら

知覚や肉体が感じるもの
考え、感情 行動は誤作動でしかない、ならば
体験したことが誤作動だったんだよ、そんなのなかったんだよと
つじつま合わせすることも可能

だけどそれをするのには衝撃度が大きすぎた
一気に目が覚めた

すごく大げさな知覚を感知していて本来ならば死ぬほどの苦痛はなかったから
死ななかったのだ、という方便より

逆だー

うそくせー
何故これを見せられているのか・・・?ではなく

視点としては
何故これがあるのか?なんのために???

世界が在るという世界に留め置くためだ


存在するためには比較が必要

だから無も創られている
何かを認識してるなら すでにそれは創られ
それが何かといえば 世界はあると みんなが在ると思いたいから

知覚は 騙すためにある
ほんとは・・・何もないと、すべて幻想という事実を見ないためにある 

幸せなら幸せにしがみつく
どんなに不幸でも「不幸なわたし」という枠を外せない
あなたと私・・・あれとこれ 区分するためのタグははずせない

存在してるなら(あるいはしないなら)エゴなんだ

私ならコロすことも出来る、と思うならば コロせる自分を特別にしている
・・・特別性の呪縛

じゃあーお前はなんだ?
お前だってやってることは同じだろ?

体験したことが誤作動だったんだよ、そんなのなかったんだよと
ないものを在るとする、つまり創り出せるものは、ぶっとんだんだよ


過去の私に分かる、なんて思うような言葉は紡げない
だって言葉は分離だから

私はあなたとは違うエゴじゃないしぃ~!と感じるなら

キミはまだ存在したいということ

そこには 私とは違う、という区分 特別な自分があるということ
創造(存在する)世界の住人


内側にいるなら 己でどうにかできる問題じゃない

己でどうにかしようとするならば
エゴの餌、また世界に埋め込まれる ただのパーツ
世界の存続のために働くんだ

それは よりよく幸せになるための方法を探すとか
魂に繋がりたい、とか 過去生を見て今生の課題を見つけたい、というのも
存在したい自分とエゴと利害は一致するのだ

肉体の死という時間が存在するから ある意味自分を見つめる方向へ
フォーカスしてるわけで そらしだ
幾多もある方法は まことに都合がよろしい
意味付けしたり 答えを求めたり 


戻って来たので
あー正確ではない 肉体の残像を感じられる何かがいる、
それが五感を使いながら無へ行こうとしてる

無・・・何を語ろうが 誤解する

無関係な処に完結したものがある

それ自体はあるとも無いとも問わない
己の存在理由に価値を求めたり 意味付けもしない
ましてや己がいるか、なんて疑問もない

このことばを吐いた時点で創られるだろう

そして何を言おうが世界が見える何かがココにいるから

目に見える何かを見ながら
あの時 伝えられてきた裏メッセを読み取るように

ことが起きる前の私は大元に行くと思っていたけど
これからどうしたいはない

だって私は無いんだよ、無いものからどうして望が生まれるのか?

すべてのものが破壊された・・・だから信念も感情も考えも世界ですらなにもない

端的にいうと絶対的な何かがあるからこそ
(目に見えているものしか見えない人なら見えたことは正しいとなるだろう)

そういう物差しがあって 初めて己の位置を確認できるのだ


自我も魂も 己の核はおろか足元も上も下も左右も世界もなにもかも消滅した状態で
さらにそう認識した知覚自体が間違っている中で

己だ、と思う物差しが存在するなら、発狂できるだろうな←棒読み。


記録するのに日本語は
主語が必要なので わたし(私)や彼、魂という言い方を取ったが
よくよく考えたら 人格の消滅的なイメージだな

だからといってすぴのウォークインとも違う
ぎりぎり見てる何かがある、だけ

ここにいるから 何かがある、のだ

ー昔の己を思い出してー
まあさーこれを読んだとこで だから?どーした?
大した問題だと思わないわな

心にフォーカスしてるならば
いやいや、そんな誰でも エゴはあるだろうよ
どんだけ自分がキレイだと思っていたんだよ、となるだろうし

すぴなら 無我になることを目指すとかなるだろうし

それもこれも中にいるために創られた方便だ

のちのち見た中で
ー神(本質)は内(肉体の中)に内在する
という概念をなんとなく採用していたことが 気づくのが遅れた要因だと思った

それは同一視であり、同一視をしている限り その枠からは出れない
出る必要性もないだろう
もう少し細かく言えば 同一と見てるけど違うという区分のためにある

この世界では、善悪は在る
だけど内へと辿れば・・・

たぶん敢えて言うなら すべてOKな
つまり・・・愛、方面を採用していたと思う

究極的に カオスが存在するこの世界や別の星 あるいは生命体のようなものが居る世界と
対局に何か(それは人によっては光だろうし愛かもしれない、あるいは闇かも、それぞれが思う
枠の外にある)が在る
無も在る

書いていて、分かった
私は点と点をつなぐことはしなくて そのままピースとして置いておいた 

それはわーくを初めて10年前のあれ、ここに繋がってのか・・・とか
20年前の体験は 此処か・・・となったので

すぐに結論付けは危険
逆に物事を見えなくさせて 結論にあうような証拠のみ拾うだろうと思っていたのだと思う


その時々で 違和感を感じなければそのまま流れていける

あの後
TVドラマの主人公について言ってる記述を読んで
私自身は原作の漫画を読んでいたから 
何故だろう・・・?と疑問だったけど まぁいいやと思った

ドラマ自体の放映から2年後くらい経って
ドラマのサイトがあったので 見に行った

初回のエピソードを見て驚愕した
あくまでも原作とドラマは違うのだといわれたら、
そういうこともあるかもしれないけど・・・破たんしてる
そこを変えてしまったら 
主人公の性格やトラウマや苦悩、悦び人生が変わってしまう

逆に違うんだというのであれば
それに沿って作り直すとか、別の登場人物を出すとかあるよね?
なんでそのまま設定???

例えをあげられない・・・
んードラえもんのしずかちゃん設定でやっていることはジャイアン
・・・初回にジャイアンとして行動したら それに合わせて作られる

エピソードは漫画でもあるやつなのに別人になってしまうだろー

そこでそれぞれを騙すように創られる
当時私もリアルタイムで TVドラマを見ていたら 
原作を 破たんしない程度に創られていただろう

で・・・ここ半年くらいの間に
これまた以前読んでいた漫画が映画になった

映画だけ見た人はさっぱり分からん、という感じで
原作ファンは超絶、大激怒!!!

そういうことはあるね、原作ファンならば・・・

だけど作った方は
あくまでも原作と映画は違う
違うんだから それに沿って作り直した、別の登場人物を出したのだ、と言っているらしい

なんだそれ・・・、どっかで聞いたような聞いてないような
言い訳のような・・・?みたいな

でもそれが何だと言えるだけの指針はもうどこにもない



2017年1月16日(月) 20:11 *今の想い* PERMALINK COM(0)
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

COMMENT FORM

以下のフォームからコメントを投稿してください