西暦2016年3月31日(木)
この1ヶ月くらい、いろいろあった
ここらで、いくつか 気づいたコトをアップする
板に書いた、現存しない己のサイトを調べてみた
考えたら マイページに行ったり ブクマしているワケで
わざわざ検索しないよね
ってか始めたばかりの頃に検索したコトはあったけど
その時にはなかったか、気づかなかったのだろう
前に友のもまとめサイトに出ていた
それと同じようにまとめサイトやいろんな処でリンク貼ってあった
いくつかは個人サイト ざっと見た
で・・・初めて
私の言葉で言う【影】の存在を知った
Aさんの言葉で言えば【偽者】
要は私や彼、タマシイで把握している過去、あるいは友と遣ったわーくで来たモノ
門として、受けたモノ
少なくともネット上で見かけたモノ、交流した存在、例えROM専であろうとも
私の眼に入ったものは認識しているから【表】とするならば
全く存在を知らなかった、気づかなかったモノが現れた
“私がない”から発見した感・・・だから、影。
私の目的は【私にとっての真実へと突き進む】を第一としていたので
あー、もともとそれは、ないなという部分
基本、わんねす、もゼロも、至高体験も悟りも到達点としていないじゃーん?
それがあったから、どうなるってもんでもないし
道の途中に在るもの、という認識だったから
それを目指している人達に興味もなかった
で、私が把握していた【其処を目指している人達】とも、ちと違う位置にいた
それらは2006年~2014年までが多く、既に放置されているサイトであった
淡々と己の目指す処へと向かうキロクを綴っている
当時自分が目指していた場所が 私の紡いだモノの中になると思っていた←(ならば今はどこに居るのか
向かっているのか という疑問があったけど、その後は書かれてない)
あれだけの体験をしていて、そこに到達し、それを言語化しているのを見たコトがない
在るのかもしれないけどあの当時は知らなかった
私の記事も数が多すぎて探せなかった・・・と。
・・・?
ひそかに読んでいた?
この領域は気づかなかったよ
私からしたら、へ?
逆だろ?余裕あったら、やらないだろーと思ったのとそこを目指す???
以前 友が書いたGoo、来てるモノ合わせて
凄すぎる、特別な感じになっとるけど、なんで・・・?
と他人事で言った
友は友で 私の処へ来てるモノを合わせて同じだしと言ったけど
あれはお互い認識してるモノであった
そういうのが今 現れてきたから
・・・私がない状況下で この領域で
相当久しぶりにLのほうざっと読んでみてガッカリ、がっくりきてしまった
当時の私は 差異を埋めていく作業
どうしたら、伝わるか 気持ちや感情、思考を的確に言語化するコトに費やしていた
それは私の価値観で自己開示して正直に書いたモノ、という事実に反して
マジに分かってないやん、全く分かってないから【私にはない】で影
どんだけ特別性を増長してたんだよ、という感じだった。
ジャンル的に言えばすぴだけど
傷ありで心理に向かうのではなく 地に足をつけて己追求がすぴ方面、という感じか
***
そのままの立ち位置で
全くそそられない系すぴを検索して本を2冊 買った
フィクション的なもの
社会学的な見地からのもの
どちらも単行本と文庫にもなっている
見たコトあるような?
発売年月日を確認して・・・むむむ?
だけど以前の私なら、この手は 興味もないよね
己の本の登録を見て、ないコトを確認して
たまたま表紙をどこかで見たのか・・・。
本が届いて手に取った瞬間
あれ・・・?
初めての体験をした
以前は私の身体で私の意識があって 他を入れる
あるいは合わせる、体験が主だった
だけど・・・今回は
手に取った私がザッとぶれて
そのまま、別の空間、時間枠の躯体に入ったみたいな体験
ココにある私の身体のまま
私の意識が跳んで行き・・・
それはすでに私の身体ではなく その身体自身は
ただの器状態・・・時間は止まっていて
身体も意識も思考もすでになく だからソレに合わせることは出来ない
辺りを見ても、現在の私の躯体とかぶっているけど
私はソレに入った状態で
私の記憶にはない・・・私ではないけど私
ただの「器」動きもしない
ああ、ホントはこういう状態でこの器さえないんだな
だけど知ってる、覚えているようにココに来た
私の意識は、認識した
これは私の自我がある時には見えてなかった【影】だ
いくつもの私が、どこかの時点で数々の道を選択したもののひとつ
【今の私が選択した結果】すでに限界が来て 消滅、抹消された時間枠のひとつだ、と。
原書に
幻想を現実と見た世界で「身体」は意思を持っているように思えるが
本来 「身体」は意思を持たない、みたいなコトが書かれていた
コレか、と思うくらいに器だった
例えれば 人形に乗り移ってしまった「私」みたいな感じだった。
見たコトあるかも、と思ったのはココをやった私なのかも
ならば、完全に私の認識している領域の外で・・・
今の私ならば このまま細々とキロクするでいいよ、と思っていた←
じゅつ系とか私が認識で来てる領域は
私が遣ってるだけで、あるいはココにたまにアップするだけで
変化するだろうと思っていたけど
ふと 違うのかも、という気がしてきた
逆に言えば
ココを崩していく、ほんとうに消していく必要があるのかもしれん。
例えればコアから無に向かった沢山の記憶のように
私が居たら認識してないこの領域・・・の着手か?!
なら・・・元の、イヤだぁ?という絡め取られるエネルギ―が残っている
AかYかも、えーありか?
ちとAは、Aさん居るし・・・Yか
ココに書いたものやコアへ向かう記述を書いたはてなや
ライブドアをまんま挙げるか、なら 手間はないけど
それって私しか分かんねーよな(爆)
もしココを崩すならば ノンフィクション形式かも、
友が書いていたものがたりみたいのならどうだろ・・・?
って
・・・これ以上 どう時間を創ればいいんだよ
まーいいや・・・書く時には書くのだろう
***
何故そう思うようになったか
私が見ている世界の脚本の上映以外に
私の別脚本の存在の痕跡が現れ出したから
@隣の家のおにーさん
突然、動き出す それも敢えて携帯で話している会話を聴かせる感じ
聞きたくなくても聞こえる
芸能関係裏方遣ってるみたいで
一般的ミーハーなら会話から聞こえるものに
興味をそそられると思っているのか、と自分枠で捉えていた
だけど考えてみたらいきなりだったんだ
・・・何もしてない時期があって、その後この1年くらい
以前の仕事と違うんだよね←これに拘っている感じだったのにガラッと変わって
あー私の10代とリンクしてんのかもと気づいた
私は誰だれに似てると言われることが多くて、ひとりではなく
あの人にもこの人にもその人にも似てると
現場に居る人から言われたから 相当似ているのだろー
今思えばだけど・・・
エゴ保護が凄い型がどんどん特別性を得て行き、ダミーが沢山創られる
だから容姿が似ていた
いろんな業界を渡り歩いたから
そのたびに、私自身は特別性を落とされて来て
ブログに綴っていた時も
私的にはイイ感じに落ちてきてると思っていたけど
ガチに特別性醸し出して居たやん、と気づかなくて
ココに来て
影の存在
私が持っていた当たり前のラインがない、というコトは
前の領域なワケで・・・今だから分かる私のライン上
過去の分岐点も分かる所もあって
***
だから ちと この1ヶ月 もがいてみた
***
気になっていた【オブリビオン】見た
いろんな解釈があるとは思うけど
エゴの遣り口 うわーって思っちゃったんだ
あとはさーUちゃんについて今の状況を確認してみた
友が学校で何でみんな気づかないの・・・?という衝撃ラインあった
あれに近い感じで
ん?と思うコトはあっても
なんだかんだ少しは 期待していたんだと気づいた
傷があるならあるで、ないならないで
心理なら、スピなら、宗教なら、~~~なら
最低限、分かってるよねーと思う私のライン
今まではソレに近い人達を見ていたけどさ
蓋を開けて見たら
はるかかなた、だというコトに 今更ながら たじろいだ
よく会話が成り立っていたなー
でも当時は共通点があったから 成っていたのか
これほどまでに己が見えていないのか
だけど、コレが見えてるというコトは 無へ行くならば
こういう脚本も消す訳じゃんか
ならば そうだよね 無へ向かうなら、簡単じゃないよね・・・と
***
わーくはまだ3分の1も到達していないのだけど
文字通りに受け取れば 方向性は
私の言葉で言うと
現象をチッと思うのではなく 相手も己もタマシイとして徹底的に見る
だけど、己の心に向かわずにいきなりそこに行くならば
なかったコトにして、出来なくなって壊れる(挫折する)か
【なんちゃって悟りを開いたような世界】に行けるだろう、という非常に危ういものだと思う
Aさんが言うようにある程度いろんな分野を漁ってこないと
最大級にそらされてしまうだろうなーとは思う
ただ私的には「あそこが本当、ココは嘘」という枠がなくなって
遣っていくならば なにか掴めるかもと遣ってる感じだ
***
唐突に思う
だから、私は記憶を失いたくなかったんだ
体験したコトをそれがどんなにヒドイコトでも
忘れたくないって想いが強いのは、
こうして抹消して往った私の数々を
覚えてないと、出れないとやり直ししているうちに 気づいた
***
まだあるけど
とりま ココまでキロク
***
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