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西暦2016年11月15日(火)


ネットをきる前 携帯にコピーしたものをアップする

7月にアップした補足の意味になればいいかと思う

キロクとしては 2016年初めに書いたもの

***


ふと気づいたコトがあった
もちろん、この世界の中で考えるならば、という但し書きがつくが、

だれだれはこうで、ああで本人は気づいてないけどこうだ、とか
己に関しては~~~があってイラッときた、とか現象を聞いたコトはある


だけど己の気持ちを辿って(それは第2感情的な部分から)
どんどん降りていって第1感情に気づいて 感情を感じ切って終わり???


それがどこに繋がるのか、何かと同一視してるのかそういう心の領域を超えて
さらに次の領域へと繋げていく

これですら、表層でしかない

無意識では~~~だ、という言葉ですら表層部分でしかないのになー


なんでそうなるんだ?と考えた時

話や記録はいつも誰かに対してのコトだった・・・

じゃーひとりの時なにしてた・・・?

これこれこうでこうだという表層の結果を聞いた


それはそれでそうだから ふーん、そうなんだと思っていたけど

本人が本人に対して遣るワークの記録、やり方、どうやったのかという話
私知らないじゃーーーん



例えば

本来の気持ちを感じ切れば消える、例えそれが何ヶ月も何年かかろうとも
消えた・・・だからそれで完了するならば


実際の所それって・・・表層かすっただけでしかないよね



だから誰かに対しても、人を見るコトで気づくと思っていて

いつもシンリ的な表層で視て 同じ答えになるのか
分析は同じ結果、答えを導き出す

答えとして、表層部分で正しいし・・・とスル―してた

というか

そこが シンリ領域でいうならば 本人のこだわりの部分なのかも、と思っていた

あるいはそれを超えた領域を指して
深いというか俯瞰で見てるのかもと思ってたけど

あれ・・・違うなと気づいた


表面から表層を気づき深層に入っていく作業を丁寧にやらなかったら
あるいは遣っていると思ってスキップしたら?

己に入っていく作業ではないからこその同じ答えだ


私の中で いろんなスキルを経て遣り方も変え、何百何千ある遣り方の組み合わせを
己仕様にしながらやって
行き詰まるとずっと探し求めて夢にも見て
それで停滞して
ある日 あ!こういう遣り方はどうだろうか、と思いつき遣ってみる


それは私の当たり前で

さらに深層へとイク

だから、遣ったと言われたなら私の常識を当てはめて遣っているのだろうと思っていた。

表層のみ 最初のさわりで、分かったなら
途中もなくて遣ってるという中身はないワケで

最初で判断するから 他者に対してもみんな同じような判断、分析になってしまうのでは・・・?


少なくとも己の遣った部分までは掘り下げられる、という原則にもとずくならば
己の遣った所、領域で他者に対しても判断するということ


言われた言葉が蘇る


鏡として 己が遣ってきた所までしか他者を映すコトは出来ない
己の処までしか導けない
そうして己の問題を直視せざろうえない人が目の前にやってくる


だから相手のほうが深く辿っていたのなら この人は全然浅い表層に居ると
すぐに分かってしまうよ

分かっても なお付き合ってくれるか・・・真剣に己を深く辿りたいのだから、
そこでさらに己で深く辿れれば、それを見るコトで相手も何かを得ることが出来るだろう


出来なければ壊れる

これはシンリの世界、領域全般の話

壊れる・・・というとシンリ領域で、あるいはその手前で捉えてる場合がほとんどだろう



だけど そこから次へと進む

もちろん そこでも 目をそらしてしまうならば、そこの領域で壊れる

そこの領域での壊れ方をするんだ

当たり前に さらにその先、その先は存在する


うーん、確かにどうやっているのか
本人の話をたぐってたぐって聞いたコトがないということに 気づいちゃった。


最初のブログで これ以上は書けないと言ったのは
とっかかりの表層は同じようにやればいいから、つまり対処方法として


その先は言葉で説明したり出来ない

だって人それぞれ、無数に遣り方が存在してるから

かと言って 私の方法を克明に書いたなら そういうものかと
それだけが正しいと思って真似されても 意味がないから

だってその人は私ではないから

ただの対処が深いという存在も居たし

それですら遣れない存在は、居たし 
ただ真似するだけで遣った気になる存在も居た

心を直視しなくてもいい、ぬるいすぴ系でも遣れない存在も居た


そんなの遣らないでも分かってる、ってのは 今となっては違うなと

最初の点を知ってるだけ

めんどうでも・・・己の心は点から線へ 線から点へと繋げていく
そうして無意識まできても所詮は心の領域でしかないというのに・・・。


そうでないと
己が分からないし 己が分からないまま分かる範囲で 己と他者を見るということになるから。

何故か同じ答えを導き出すなら それは己がそこにとどまっているというだけでしかない 



***




2016年11月15日(火) 11:18 *今のキロク* PERMALINK COM(0)
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